武将名鑑【信長の野望 新生】
吉川元長(きっかわもとなが)
吉川元長(きっかわもとなが)
吉川元長 の能力値 | |||||
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統率
出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。 |
72 (320 位) | ||||
武勇
出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、 |
73 (290 位) | ||||
知略
出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、 |
79 (172 位) | ||||
政務
城の収入に影響する。 |
46 (1502 位) | ||||
合計 | 270 (315 位)2201人中 |
吉川元長 の基礎データ | |||||
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性別 | 男 | ||||
別名 | 元資 | ||||
幼名 | 鶴寿丸 | ||||
仮名・通称 | 少輔次郎 | ||||
法号・戒名 | 黙然斎 鉄斎 万徳院前礼部中翁空山大居士 | ||||
父 | 吉川元春 | ||||
母 | 新庄局(熊谷信直の娘) | ||||
配偶者・正室 | 宍戸隆家の娘 |
その他のデータ | 列伝 | ||||||||||
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誕生年 | 1548年 | 元春の長男。父に劣らぬ武勇を誇り、豊臣秀吉の九州征伐に従軍した際も、常に勝利を収めたという。父の隠居後、家督を継ぐが、父の死後間もなく病死した。 | |||||||||
死亡年 | 1587年 | ||||||||||
主義
革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。 |
保守 | ||||||||||
特性
武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。 |
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攻勢 | 自部隊の攻撃上昇 | ||||||||||
血気 | 合戦で積極的に部隊攻撃を行う | ||||||||||
戦法
合戦で使える特殊な技。 |
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足止 | 敵部隊の機動低下 |
シナリオ | |||||||||||||||
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年月 | シナリオ | 年齢 | |||||||||||||
1546年1月 | 信長元服 | 未登場 | |||||||||||||
1553年4月 | 尾張統一 | 元服前 | |||||||||||||
1560年4月 | 桶狭間の戦い | 元服前 | |||||||||||||
1570年4月 | 信長包囲網 | 23 | |||||||||||||
1582年5月 | 夢幻の如く | 35 |
吉川元長が登場する合戦
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鳥取城の戦い [尼子勝久の再興戦]
1573年10月24日
鳥取県鳥取市東町
-
丸山城の戦い [羽柴秀吉の四国平定]
1585年7月2日 ~ 14日
愛媛県西条市氷見
四国平定を目指す羽柴秀吉は、中国の毛利輝元に伊予の侵攻を命じた。
毛利輝元は吉川元長・小早川隆景に中国8か国から集めた3万余の大軍をつけて伊予に送った。伊予宇摩・新居郡を勢力下におく石川氏と石川氏の実権を握っていた金子氏を討つため、伊予に上陸した毛利勢は、まず石川氏の居城である高峠城の支城丸山城を包囲する。
丸山城主の黒川広隆は戦わずして降伏開城すると、丸山城には輝元の家臣の香川広景が入った。
-
金子城の戦い [羽柴秀吉の四国平定]
1585年7月14日
愛媛県新居浜市金子
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高尾城の戦い [羽柴秀吉の四国平定]
1585年7月15日 ~ 17日
愛媛県西条市氷見
-
仏殿城の戦い [羽柴秀吉の四国平定]
1585年7月20日
愛媛県四国中央市川之江町
金子城・高尾城を落とした吉川元長・小早川隆景ら羽柴勢は、伊予仏殿(川之江)城の攻略に向かった。
この仏殿城は讃岐と近接し、阿波・土佐両国にも通じる要衝で、天正10年(1582年)に長宗我部元親が攻略していた。
羽柴勢はここを足がかりにして、阿波・ 讃岐に侵攻した羽柴秀長との連携を強めようとしたのである。
仏殿城兵は戦わずに開城したことにより、伊予は平定された。関ヶ原の戦いの後、仏殿城には加藤嘉明が入っている。
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松尾城の戦い [豊臣秀吉の九州平定]
1587年3月29日
宮崎県延岡市松山町
島津勢を豊後から逐った豊臣勢の東九州方面軍は、総大将・羽柴秀長を中心として黒田孝高・蜂須賀家政・毛利輝元・吉川元長・小早川隆景ら9万余の兵で、豊後から日向に侵入していく。
こうした動きに、それまで島津氏に従っていた日向の諸城も秀長に降ったが、日向松尾城(縣城)の土持久綱はに島津義久から「久」の字を賜っていたりと島津家への忠誠は高く依然として抵抗を続けていた。
このため松尾城は包囲され、3月29日に久綱は降伏開城し、島津家久を頼って日向佐土原城に落ちていく。
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