武将名鑑【信長の野望 新生】
伊勢貞昌(いせさだまさ)
伊勢貞昌(いせさだまさ)
伊勢貞昌 の能力値 | |||||
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統率
出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。 |
61 (767 位) | ||||
武勇
出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、 |
57 (959 位) | ||||
知略
出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、 |
75 (263 位) | ||||
政務
城の収入に影響する。 |
64 (598 位) | ||||
合計 | 257 (434 位)2201人中 |
伊勢貞昌 の基礎データ | |||||
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性別 | 男 | ||||
別名 | 有川貞昌 | ||||
幼名 | 徳松丸 | ||||
仮名・通称 | 弥九郎 | ||||
法号・戒名 | 豪翁英大居士 | ||||
父 | 有川貞真 | ||||
母 | 新納忠元の娘 | ||||
配偶者・正室 | 市来家守の娘 |
その他のデータ | 列伝 | ||||||||||
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誕生年 | 1570年 | 島津家臣。有職故実の伝授を受けた。島津義弘に属し武功多く、関ヶ原合戦では稲津重政との戦いに活躍。筆頭家老を務め島津忠恒参勤の際は必ず供をした。 | |||||||||
死亡年 | 1641年 | ||||||||||
主義
革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。 |
革新 | ||||||||||
特性
武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。 |
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能弁 | 外交取次次の信用上昇増加 | ||||||||||
攻勢 | 自部隊の攻撃上昇 | ||||||||||
戦法
合戦で使える特殊な技。 |
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撹乱 | 敵部隊の体力低下 |
シナリオ | |||||||||||||||
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年月 | シナリオ | 年齢 | |||||||||||||
1546年1月 | 信長元服 | 未登場 | |||||||||||||
1553年4月 | 尾張統一 | 未登場 | |||||||||||||
1560年4月 | 桶狭間の戦い | 未登場 | |||||||||||||
1570年4月 | 信長包囲網 | 元服前 | |||||||||||||
1582年5月 | 夢幻の如く | 13 |
伊勢貞昌が登場する合戦
-
泗川城の戦い [慶長の役]
1598年10月1日
慶尚南道泗川市
慶長3年(1598年)9月26日、泗川古城に300余で在番していた所へ董一元率いる明軍と鄭起竜率いる朝鮮軍の連合軍が5万余の大軍で襲撃してきます。
これに対し、泗川を守備する島津義弘・忠恒(家久)父子の兵力は8000余でした。
劣勢に立たされた義弘は、兵力の分散を避けるため、慶長の役に際して築城した泗川新城への退去を決行します。
こうして島津勢が泗川新城に集結するなか、川上忠実だけが文禄の役に際して築かれた泗川古城に立て籠もっていました。
義弘の命を受けた川上忠実が泗川新城に撤退しようとした9月27日、泗川古城は明・朝鮮軍に包囲されてしまいます。川上忠実らは鉄砲を放ちながら退去するも、畦道であったために敵の追い討ちに遭い150余人が討ち死に、忠実も36ヶ所の矢傷を被り乗馬も射抜かれるが、海老原越後の家臣・市助が敵の馬を奪って忠実に与え、更に伊勢貞昌が出迎えの兵を出したおかげで、無事に泗川新城への入城が叶いました。
この功により、島津義弘より景光作の脇差を賜っている。泗川古城を落とした明・朝鮮軍は、勢いに乗じて泗川新城を囲みます。
泗川新城は10月1日から総攻撃をかけられたが、義弘は明・朝鮮軍を引きつけたうえで、鉄砲を多用しながら反攻に転じた。
これにより明・朝鮮軍は総崩れとなり退却を始めたが、このとき反撃に転じた島津勢が明・朝鮮軍を追撃し壊滅に追い込んだのである。
こうした一連の働きから、義弘は帰国後、島津領内に設けられていた豊臣秀吉の直轄領である太閤蔵入地などから5万石を加増されている。
伊勢貞昌が登場する記事一覧
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