武将名鑑【信長の野望 新生】
有馬晴純(ありまはるずみ)
有馬晴純(ありまはるずみ)
有馬晴純 の能力値 | |||||
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統率
出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。 |
72 (320 位) | ||||
武勇
出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、 |
62 (719 位) | ||||
知略
出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、 |
63 (744 位) | ||||
政務
城の収入に影響する。 |
82 (110 位) | ||||
合計 | 279 (246 位)2201人中 |
有馬晴純 の基礎データ | |||||
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性別 | 男 | ||||
別名 | 賢純 義純 義統 | ||||
法号・戒名 | 仙巌 南明軒 | ||||
父 | 有馬尚鑑 | ||||
配偶者・正室 | 大村純伊の娘 |
その他のデータ | 列伝 | ||||||||||
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誕生年 | 1483年 | 肥前の豪族。日野江城主。島原半島を中心に勢力を拡大、有馬家最大の版図を築く。また大村家に次男・純忠を入嗣させて和睦、安定した支配体制を確立した。 | |||||||||
死亡年 | 1566年 | ||||||||||
主義
革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。 |
革新 | ||||||||||
特性
武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。 |
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自衛 | 自勢力内では自部隊の防御上昇 | ||||||||||
地の利 | 合戦で積極的に要所を襲撃 | ||||||||||
戦法
合戦で使える特殊な技。 |
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足止 | 敵部隊の機動低下 |
シナリオ | |||||||||||||||
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年月 | シナリオ | 年齢 | |||||||||||||
1546年1月 | 信長元服 | 64 | |||||||||||||
1553年4月 | 尾張統一 | 71 | |||||||||||||
1560年4月 | 桶狭間の戦い | 78 | |||||||||||||
1570年4月 | 信長包囲網 | 死亡 | |||||||||||||
1582年5月 | 夢幻の如く | 死亡 |
有馬晴純が登場する合戦
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高瀬の戦い [菊池氏の内訌と大友氏]
1503年10月
熊本県玉名市高瀬
肥前日野江城主の有馬晴純やもとは宇土為光方であった肥後人吉城主の相良長毎の協力を取りつけた菊池能運は、文亀3年(1503年)10月、守護職奪回と宇土為光の打倒のため兵を率いて肥後玉名に上陸する。
この報に接した宇土為光も、兵を率いて高瀬で菊池能運を迎え撃つが、逆に能運に撃破されてしまった。
筑後へ逃亡を図った為光は立花山城守に捕らえられ、子の重光、孫の宮満丸らとともに隈府に送還されたのち斬首されたという。
これにより菊地系宇土氏は滅び、菊池能運が肥後守護職を回復することとなった。
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水ヶ江城の戦い [少弐氏の滅亡と龍造寺氏]
1545年1月22日 ~ 23日
佐賀県佐賀市水ヶ江町
天文9年(1540年)に龍造寺家兼の子である家純が少弐冬尚の家老に迎えられると、少弐家中における龍造寺氏の勢威が高まった。
勢力が大きくなり過ぎた龍造寺氏は、少弐資元を見捨てた謀反人として、資元の跡を継いだ少弐冬尚や小田資光・馬場頼周ら譜代の家臣達と対立が深まっていった。
そのため天文14年(1545年)正月、西肥前を平定した有馬晴純が東肥前に侵攻した際、冬尚配下の資光・頼周らは晴純に加勢したのである。
3万余の大軍に包囲された家兼は、城を退去して筑後国一ッ木に逃れ、柳川城主の蒲池鑑盛の保護を受けることとなった。
家兼は筑後に逃れる際、出家していた曾孫の円月(後の龍造寺隆信)を伴った。
龍造寺隆信は享禄2年(1529年)に龍造寺周家と慶誾の間に生まれた長男で、幼名を長法師丸といい、幼い時より聡明なため、天文5年(1536年)7歳で家兼の三男・豪覚和尚の宝琳院に入って中納言円月坊と号した。
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