武将名鑑【新信長の野望】
小早川秀秋(こばやかわひであき)
小早川秀秋(こばやかわひであき)
木下家定(秀吉の義兄)の子。
小早川秀秋 の能力値 | |||||
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統率
武将が出撃部隊の主将を務めた際、部隊兵数に影響。 |
160 (78 位) | ||||
武勇
武将が出撃部隊の先鋒を務めた場合、部隊の攻防バフに影響。 |
156 (81 位) | ||||
智略
武将が出撃部隊の参謀を務めた場合、部隊の攻防バフに影響。 |
138 (82 位) | ||||
内政
武将委任時の修復効果と所属部隊の採集効率に影響。 |
351 (19 位) | ||||
合計 | 805 (83 位)84人中 | ||||
戦闘力 | 11005 |
その他のデータ | 歴史 | ||||||||||
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レアリティ | 豊臣秀吉の命により小早川隆景の養子となる。関ヶ原の戦いでは東軍に寝返り、勝利に貢献したものの、二年後に突然死した。 | ||||||||||
タイプ | 政 | ||||||||||
適正 | 主将 | ||||||||||
兵科 | 農兵 | ||||||||||
逸話 | |||||||||||
言い伝えでは、裏切った大谷吉継の幽霊に祟られて死んだという。だが現代の医学的見地からは、アルコール依存症による肝硬変だとされている。 |
小早川秀秋が登場する合戦
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伏見城の戦い(ふしみじょうのたたかい) [関ヶ原の戦い]
1600年7月19日 ~ 8月1日
京都府京都市伏見区桃山町
宇喜多秀家 (28)石田三成 (40)前田玄以 (61)本多正信 (62)鈴木重朝 (39)島津義弘 (65)小早川秀秋 (18)大谷吉継 (41)毛利秀元 (21)吉川広家 (39)小西行長 (41)長宗我部盛親 (25)鍋島勝茂 (20)長束正家 (44)WIN
LOSE
伏見城
慶長5年(1600年)6月16日、徳川家康は大坂城を出て山城伏見城に移動し、6月18日には守将の鳥居元忠と別れの宴を行った後、上杉討伐のため会津に向かった。
一方、大坂城の前田玄以、増田長盛、長束正家の三奉行は、7月17日に家康が大坂城西の丸に残していた留守居役を追放して、家康に対する13か条の弾劾状を発布する。
これに先立つ7月15日の時点で、伏見城では鳥居元忠らが籠城を始めており、西軍はこれに対する攻撃の準備を行う。
7月19日、西軍の宇喜多秀家の軍勢による攻撃が本格的に始まった。
伏見城は初めは反撃して前田玄以や長束正家の屋敷を焼き払うなどするが、その後は攻撃側からの大量の鉄砲攻撃にさらされ、29日には、石田三成の4万余の大軍で包囲されてしまう。
攻め手は築山(小山)を築いてそこに大筒・石火矢を設置したり、堀を埋めるなどするが十分に防御された城は容易に落ちなかった。
しかし、孤立した城は8月1日に落城する。
鳥居元忠は鉄砲頭の鈴木孫三郎(鈴木重朝)に討ち取られ、他にも内藤家長・元長父子、松平家忠、上林竹庵ら以下800人が討ち死にした。
この戦いは9月15日に行われる関ヶ原本戦の前哨戦であり、伏見城は落城するも、少数の兵で西軍の大軍を10日以上も足止めすることで、西軍の美濃・伊勢方面への展開が大きく遅れる原因となった。
また、島津義弘と小早川秀秋は元々東軍に味方するつもりであったが、城側に入城の意思を示したときに拒否され、結局西軍に参加して城攻めに加わっている。
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佐和山城の戦い(さわやまじょうのたたかい) [関ヶ原の戦い]
1600年9月17日 ~ 18日
滋賀県彦根市佐和山町
佐和山城から見た琵琶湖
小早川秀秋が登場する記事一覧
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