武将名鑑【新信長の野望】
榊原康政(さかきばらやすまさ)
榊原康政(さかきばらやすまさ)
徳川四天王の一人。
榊原康政 の能力値 | |||||
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統率
武将が出撃部隊の主将を務めた際、部隊兵数に影響。 |
382 (41 位) | ||||
武勇
武将が出撃部隊の先鋒を務めた場合、部隊の攻防バフに影響。 |
539 (13 位) | ||||
智略
武将が出撃部隊の参謀を務めた場合、部隊の攻防バフに影響。 |
347 (50 位) | ||||
内政
武将委任時の修復効果と所属部隊の採集効率に影響。 |
181 (72 位) | ||||
合計 | 1449 (49 位)84人中 | ||||
戦闘力 | 19754 |
その他のデータ | 歴史 | ||||||||||
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レアリティ | 「無」の旗印を持って戦場を駆け回り、各地で立派な戦果を残した。晩年は老中に抜擢されるも、「家臣権を争うは亡国の兆しなり」と言い、自ら辞退した。 | ||||||||||
タイプ | 武 | ||||||||||
適正 | 先鋒 | ||||||||||
兵科 | 槍兵 | ||||||||||
逸話 | |||||||||||
「式備神木沙」では、「武勇では忠勝にやや劣るが、部隊の指揮官としての能力は忠勝に勝り、井伊直政に匹敵する」とされている。 | |||||||||||
コメント | |||||||||||
自槍兵部隊の攻撃力をUP。 3ターン目から2ターンおきに、自部隊の攻撃力をUP、確率で兵力パーセントが低い敵部隊にダメージ。 |
榊原康政が登場する合戦
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犬居城の戦い(いぬいじょうのたたかい) [武田信玄・勝頼の遠江・三河信仰]
1574年4月6日
静岡県浜松市天竜区春野町
元亀4年(1573年)に長篠城を攻略した徳川家康は、遠江国内の武田家の支配下にある諸城を攻略に乗りかかる。
天正2年(1574年)4月、家康は浜松城を出陣し、大久保忠世を案内役に、水野忠重・大須賀康高・渡辺守綱・安藤直次らを率いて、武田家から離反した天野景貫が守る犬居城を攻撃した。
武田家からの援軍が得られず、武田家からの援軍が得られず犬居城から出撃し、徳川軍が攻め詰められているところを奇襲した。
悪天候も味方し奇襲が成功する。
徳川軍は撤退時に大久保忠世や榊原康政らが殿軍を務め、奮戦した。
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田中城の戦い(たなかじょうのたたかい) [織田信長の甲斐・信濃平定]
1582年2月20日 ~ 3月1日
静岡県藤枝市田中
織田信長の軍勢に呼応して、2月18日、徳川家康も遠江浜松城を出陣して武田勝頼の領国駿河に侵入する。
遠江小山城を自落させた家康は、大須賀康高・酒井忠次・本多忠勝・榊原康政らを先鋒にして、武田勝頼の属城である駿河田中城を包囲した。田中城は堅固に備えを立てて落城の気配を見せなかった。
攻めあぐねた家康は成瀬正一に命じて開城の説得に当たらせるが、田中城の依田信蕃はこれを拒絶。さらに籠城を続ける内に織田軍の攻撃で武田勝頼が自害し、その一族である穴山梅雪より開城を勧める書簡を受けて、ようやく3月1日に信濃の本領を安堵する条件で城を大久保忠世に引き渡した。
開城後、信蕃は家康より召抱えの要請を受けるが、「お館様(勝頼)の安否の詳細が判明されない限りは仰せに従いかねる」と答えて謝絶した。
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羽黒の戦い(はぐろのたたかい) [小牧・長久手の戦い]
1584年3月17日
愛知県犬山市羽黒
徳川家康が尾張小牧山城に本陣をおくと、羽柴秀吉方の池田恒興とその女婿・森長可が小牧山城の攻撃を図る。
しかしこの動きはすぐに徳川軍に知られ、同日夜半に家康配下の松平家忠・酒井忠次・奥平信昌・榊原康政らは5000余の兵を率いてひそかに打って出て、池田勢と合流すべく尾張羽黒に滞陣していた森勢の陣を急襲する。
翌3月17日早朝、酒井勢の奇襲により森勢は300余が討ち取られたという。
恒興は3万余の軍勢を率いて駆けつけたが、徳川勢は池田勢との衝突を避け、小牧山城に退いた。
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長久手の戦い(ながくてのたたかい) [小牧・長久手の戦い]
1584年4月9日
愛知県愛知郡長久手町
長久手古戦場
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