武将名鑑【新信長の野望】
馬場信春(ばばのぶはる)
馬場信春(ばばのぶはる)
武田氏の家臣、武田四天王の一人。
馬場信春 の能力値 | |||||
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統率
武将が出撃部隊の主将を務めた際、部隊兵数に影響。 |
550 (13 位) | ||||
武勇
武将が出撃部隊の先鋒を務めた場合、部隊の攻防バフに影響。 |
385 (41 位) | ||||
智略
武将が出撃部隊の参謀を務めた場合、部隊の攻防バフに影響。 |
391 (39 位) | ||||
内政
武将委任時の修復効果と所属部隊の採集効率に影響。 |
245 (50 位) | ||||
合計 | 1571 (32 位)84人中 | ||||
戦闘力 | 21451 |
その他のデータ | 歴史 | ||||||||||
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レアリティ | 数々の戦いで一度も負傷したことがなく、人呼んで「不死身の鬼美濃」。長篠の戦いで主君勝頼を逃すために護衛を担当し、織田軍の追手に寡兵で挑んだ末、壮烈な戦死を遂げた。 | ||||||||||
タイプ | 統 | ||||||||||
適正 | 主将 | ||||||||||
兵科 | 槍兵 | ||||||||||
逸話 | |||||||||||
駿河侵攻時、主君・信玄に今川氏の財宝を選び出すよう命じられたが、主君が「貪欲な武将として後世の物笑いになる」と言って、財宝を全て燃やした。 | |||||||||||
コメント | |||||||||||
自槍兵部隊の攻撃力をUP。 偶数ターンに敵部隊をデバフ、自部隊をバフ。 |
馬場信春が登場する合戦
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葛山城の戦い(かつらやまじょうのたたかい) [武田晴信の美濃平定]
1557年2月15日
長野県長野市茂管
弘治3年(1557年)2月、雪で上杉軍が出陣できない時期を狙い、武田晴信(信玄)は長尾景虎(上杉謙信)に従う落合治吉が守る信濃葛山城を攻めるよう馬場信春に命じた。
葛山城は、天文24年(1555年)の犀川の戦いに際して景虎が築いた城であり、善光寺から戸隠を経て越後に通ずる重要な要衝であった。
晴信は治吉を孤立させるために一族の切り崩し、2月15日に総攻撃を開始した。
城兵は頑強に防戦したが、武田軍は水の手を断ち城に火をかけ、ほとんどの城兵が戦死した。
このとき、援将として村上氏の支族・小田切駿河守幸長が城主の落合氏と一緒に戦い籠城したが、馬場信春らの猛攻により、最終的に落城と共に討ち死にした。
落城の際、逃げ場を失った多くの女性たちが身を投げた姫谷を呼ばれる谷底からは、その後も悲痛な鳴き声が聞かれたと伝えられている。
葛山城は水が不足しており、米を水に見せかけて敵を欺く米山城の伝説も残っている。
落城の報せをうけた景虎は、ただちに信濃出陣の準備をさせたという。
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今川館の戦い(いまがわやかたのたたかい) [武田信玄の駿河平定]
1568年12月13日
静岡県静岡市葵区駿府公園
永禄11年(1568年)12月13日、薩埵峠の戦いで今川勢を破った武田信玄は、勢いに乗じて駿河府中に侵入する。
今川氏真は、北条氏康の援軍を待つため今川館を出て背後に控える賎機山城に籠城しようとした。
しかし、賤機山城はすでに武田軍の先鋒であった馬場信春に押さえられ、今川軍の退路は断垂れた。
今川氏真の計画は破綻し、やむなく重臣の朝比奈泰朝を頼って遠江懸川(掛川)に落ちのびた。
この時、北条氏康の娘であった氏真の正室・早川殿は乗り物を得られず徒歩で駿府から脱出したという。
この報を受けた氏康は激しく憤慨し、後に越後の上杉謙信に対して「この耻辱そそぎがたく候」と書状を送っている。
今川館を接収した馬場信春は、今川氏代々の貴重な宝物があるために火をかけてはならないと命じられていたが財宝を奪ったという汚名を着せられないよう、駿府の町と今川館をすべて焼き払ったという。
武田氏の駿河侵攻で武田方に与する今川旧臣が居た一方、徳川方に与した者も居た。
井伊谷三人衆も、遠江侵攻前に徳川方の交渉で引き入れており、仮に武田方が介入してきても見放さないという起請文を同12日に家康は与えている。
こうして同13日に家康は三河から遠江に侵攻を開始する。
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三増峠の戦い(みませとうげのたたかい) [武田信玄の相模侵攻]
1569年10月6日
神奈川県愛甲郡愛川町三増
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設楽原の戦い(したらがはらのたたかい) [武田信玄・勝頼の遠江・三河信仰]
1575年5月21日
愛知県新城市長篠一帯
設楽原古戦場 馬防柵
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