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  • ● 1578年 羽柴(豊臣)秀吉が播磨三木城の別所長治攻めを開始する
  • ● 1582年 織田信長が徳川家康に駿河を与える
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この人誰?

吉川広家

武将名鑑【新信長の野望】

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馬場信春(ばばのぶはる)

武田氏の家臣、武田四天王の一人。

馬場信春 の能力値
統率

武将が出撃部隊の主将を務めた際、部隊兵数に影響。
先鋒や参謀を追加しても部隊兵数上限は変化しない。

550 (13 位)
武勇

武将が出撃部隊の先鋒を務めた場合、部隊の攻防バフに影響。

385 (41 位)
智略

武将が出撃部隊の参謀を務めた場合、部隊の攻防バフに影響。

391 (39 位)
内政

武将委任時の修復効果と所属部隊の採集効率に影響。

245 (50 位)
合計 1571 (32 位)84人中
戦闘力 21451
馬場信春のグラフィック画像
その他のデータ 歴史
レアリティ 数々の戦いで一度も負傷したことがなく、人呼んで「不死身の鬼美濃」。長篠の戦いで主君勝頼を逃すために護衛を担当し、織田軍の追手に寡兵で挑んだ末、壮烈な戦死を遂げた。
タイプ
適正 主将
兵科 槍兵
逸話
駿河侵攻時、主君・信玄に今川氏の財宝を選び出すよう命じられたが、主君が「貪欲な武将として後世の物笑いになる」と言って、財宝を全て燃やした。
コメント
自槍兵部隊の攻撃力をUP。
偶数ターンに敵部隊をデバフ、自部隊をバフ。

馬場信春が登場する合戦

  • 葛山城の戦い(かつらやまじょうのたたかい) [武田晴信の美濃平定]

    1557年2月15日

    長野県長野市茂管

    落合治吉

    小田切駿河守幸長

    LOSE

    弘治3年(1557年)2月、雪で上杉軍が出陣できない時期を狙い、武田晴信(信玄)は長尾景虎(上杉謙信)に従う落合治吉が守る信濃葛山城を攻めるよう馬場信春に命じた。

    葛山城は、天文24年(1555年)の犀川の戦いに際して景虎が築いた城であり、善光寺から戸隠を経て越後に通ずる重要な要衝であった。

    晴信は治吉を孤立させるために一族の切り崩し、2月15日に総攻撃を開始した。

    城兵は頑強に防戦したが、武田軍は水の手を断ち城に火をかけ、ほとんどの城兵が戦死した。

    このとき、援将として村上氏の支族・小田切駿河守幸長が城主の落合氏と一緒に戦い籠城したが、馬場信春らの猛攻により、最終的に落城と共に討ち死にした。

    落城の際、逃げ場を失った多くの女性たちが身を投げた姫谷を呼ばれる谷底からは、その後も悲痛な鳴き声が聞かれたと伝えられている。

    葛山城は水が不足しており、米を水に見せかけて敵を欺く米山城の伝説も残っている。

    落城の報せをうけた景虎は、ただちに信濃出陣の準備をさせたという。

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  • 今川館の戦い(いまがわやかたのたたかい) [武田信玄の駿河平定]

    1568年12月13日

    静岡県静岡市葵区駿府公園

    永禄11年(1568年)12月13日、薩埵峠の戦いで今川勢を破った武田信玄は、勢いに乗じて駿河府中に侵入する。

    今川氏真は、北条氏康の援軍を待つため今川館を出て背後に控える賎機山城に籠城しようとした。

    しかし、賤機山城はすでに武田軍の先鋒であった馬場信春に押さえられ、今川軍の退路は断垂れた。

    今川氏真の計画は破綻し、やむなく重臣の朝比奈泰朝を頼って遠江懸川(掛川)に落ちのびた。

    この時、北条氏康の娘であった氏真の正室・早川殿は乗り物を得られず徒歩で駿府から脱出したという。

    この報を受けた氏康は激しく憤慨し、後に越後の上杉謙信に対して「この耻辱そそぎがたく候」と書状を送っている。

    今川館を接収した馬場信春は、今川氏代々の貴重な宝物があるために火をかけてはならないと命じられていたが財宝を奪ったという汚名を着せられないよう、駿府の町と今川館をすべて焼き払ったという。

    武田氏の駿河侵攻で武田方に与する今川旧臣が居た一方、徳川方に与した者も居た。

    井伊谷三人衆も、遠江侵攻前に徳川方の交渉で引き入れており、仮に武田方が介入してきても見放さないという起請文を同12日に家康は与えている。

    こうして同13日に家康は三河から遠江に侵攻を開始する。

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  • 三増峠の戦い(みませとうげのたたかい) [武田信玄の相模侵攻]

    1569年10月6日

    神奈川県愛甲郡愛川町三増

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  • 設楽原の戦い(したらがはらのたたかい) [武田信玄・勝頼の遠江・三河信仰]

    1575年5月21日

    愛知県新城市長篠一帯

    鳥居強右衛門

    WIN

    設楽原古戦場 馬防柵

    設楽原古戦場 馬防柵

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馬場信春が登場する記事一覧

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬