武将名鑑【覇道】
前田利家(まえだとしいえ)
前田利家(まえだとしいえ)
前田利家 の能力値 | |||||
---|---|---|---|---|---|
統率
部隊の攻撃や防御を定め、通常攻撃のダメージに影響 |
680 (24 位) | ||||
武勇
部隊の武勇を定め、武勇戦法ダメージ、状態変化率に影響 |
696 (13 位) | ||||
知略
部隊の知略を定め、知略戦法のダメージ、状態変化率に影響 |
534 (38 位) | ||||
政治
部隊の破壊を定め、要所や城門などへのダメージに影響 |
662 (18 位) | ||||
合計 | 2572 (22 位)105人中 | ||||
戦闘力 | 4430 | ||||
天賦 | 850 | ||||
s | |||||
b | |||||
c |
その他のデータ | 歴史 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
レアリティ | 織田家臣。数々の合戦で活躍し「槍の又左」の異名をとった。のちに柴田勝家に従って北陸平定に貢献。信長の死後は豊臣秀吉に仕え、五大老の1人となった。 | ||||||||||
声優(CV) | 檜山修之 | ||||||||||
戦法 | |||||||||||
槍の又左 | 自身1部隊の武勇を30%上昇 対象を含む敵2部隊に武勇200%の攻撃 |
||||||||||
前田利家は180cmの大男で槍の名手であったため、元服直後に名乗っていた「前田又左衛門利家」の一部をとって「槍の又左」と呼ばれ恐れられていた。 |
技能
鋭鋒
効果レベル | 効果 |
---|---|
Ⅰ | 部隊の攻撃+4% |
Ⅱ | 部隊の攻撃+7% |
Ⅲ | 部隊の攻撃+11% |
Ⅳ | 部隊の攻撃+17% |
Ⅴ | 部隊の攻撃+25% |
警戒
効果レベル | 効果 |
---|---|
Ⅰ | 矢倉に任命した場合、任命効果+8% |
Ⅱ | 矢倉に任命した場合、任命効果+16% |
Ⅲ | 矢倉に任命した場合、任命効果+24% |
果敢
効果レベル | 効果 |
---|---|
Ⅰ | 敵大名家の領土内で戦闘する場合、戦法による与ダメージ+5% |
Ⅱ | 敵大名家の領土内で戦闘する場合、戦法による与ダメージ+7% |
Ⅲ | 敵大名家の領土内で戦闘する場合、戦法による与ダメージ+9% |
Ⅳ | 敵大名家の領土内で戦闘する場合、戦法による与ダメージ+12% |
Ⅴ | 敵大名家の領土内で戦闘する場合、戦法による与ダメージ+15% |
秘伝
英姿堂々
条件 : 大将か攻撃(左)で、繋がった配置の武将と同じ縁が合計2以上
系統 : 戦法
効果レベル | 効果 |
---|---|
Ⅰ | 習得した武将の戦法の攻撃威力+20% 習得した武将の戦法に以下の効果を追加 ●自部隊の攻撃を25%上昇 (効果時間15秒) |
Ⅱ | 習得した武将の戦法の攻撃威力+30% 習得した武将の戦法に以下の効果を追加 ●自部隊の攻撃を27%上昇 (効果時間15秒) |
Ⅲ | 習得した武将の戦法の攻撃威力+40% 習得した武将の戦法に以下の効果を追加 ●自部隊の攻撃を29%上昇 (効果時間15秒) |
Ⅳ | 習得した武将の戦法の攻撃威力+50% 習得した武将の戦法に以下の効果を追加 ●自部隊の攻撃を32%上昇 (効果時間15秒) |
Ⅴ | 習得した武将の戦法の攻撃威力+60% 習得した武将の戦法に以下の効果を追加 ●自部隊の攻撃を35%上昇 (効果時間15秒) |
前田利家が登場する合戦
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富山城の戦い(とやまじょうのたたかい) [織田信長の北陸平定]
1582年3月11日
富山県富山市星井町
富山市役所から見た富山城
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末森城の戦い(すえもりじょうのたたかい) [羽柴秀吉の越中平定]
1584年9月9日 ~ 9日
石川県羽咋郡宝達志水町
末森城
越中富山城の佐々成政は、小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉と対峙した織田・徳川連合軍に呼応し、自らは大軍を率いて羽柴方の前田利家の属城である朝日山城(石川県金沢市加賀朝日町)を急襲。
しかし、これは前田家家臣の村井長頼がこれを撃退する。天正12年(1584年)9月9日、そこで利家の領国である加賀国と能登国の分断をはかるべく、能登末森城を総勢15,000の兵で包囲した。
9月10日、戦闘が始まると城将奥村永福・千秋範昌らの篭城軍300人が篭城戦を展開。
戦況は佐々軍が有利であり、前田方の城代土肥次茂(土肥親真の弟)が討死するなど、落城寸前にまで追い込まれる。9月11日、急ぎ末森城に向かった利家は2,500人を率いて出陣。
末森城の奥村永福と謀り、末森城を包囲する佐々勢を挟み打ちにした。9月11日明け方には末森城に殺到する佐々軍の背後から攻撃し、これを破った。
両軍ともに750人余りの死者が出たとされる。 -
鳥越城の戦い(とりごえじょうのたたかい) [羽柴秀吉の越中平定]
1585年4月8日
石川県河北郡津幡町鳥越
天正12年(1584年)9月の末森城の戦いで前田利家に敗れて撤退した佐々成政は、越中富山城への帰途に利家の属城の鳥越城を奪取する。
鳥越城を500余の兵で守っていた目賀田又右衛門・丹羽源十郎らは、末森城の戦いに利家が敗北したとの誤報を受け、城を捨てて逃げ去っていたという。楽々と奪取した鳥越城に配下の久世但馬を置き、佐々成政は富山城に戻った。
それを知った前田利家は激怒し、10月14日に自ら兵を率いて鳥越城を攻めるもる佐々勢の激しい抵抗にあい退却した。
翌天正13年(1585年)4月、利家は嫡男・利勝(利長)とともに再度鳥越城を攻撃するが、奪還はならなかった。その後鳥越城から逃げた目賀田又右衛門は追放され、同じ六角氏の家臣だった蒲生氏郷を頼り、前田家に帰れるようとりなしてもらうも帰参は許されなかった。
-
松井田城の戦い(まついだじょうのたたかい) [豊臣秀吉の関東平定]
1590年3月28日 ~ 4月20日
群馬県安中市松井田町松井田・新堀
3月28日、前田利家・上杉景勝・真田昌幸・信幸父子の北国勢らが率いる豊臣勢3万5000余の大軍が上野松井田城を包囲する。
北条氏の重臣である大道寺政繁が守る松井田城は、信濃と上野の国境に位置する要衝である碓氷峠を扼していた。
政繁は勧告を拒絶して抗戦を続けたが、周囲にある北条方の国峰城や厩橋城が次々と落とされると、4月20日に政繁は人質として長男の直重を出して、降伏開城した。
松井田城の開城後、真田昌幸らの北国勢は上野国の要の城である箕輪城の攻略を進めた。
-
国峰城の戦い(くにみねじょうのたたかい) [豊臣秀吉の関東平定]
1590年4月17日
群馬県甘楽郡甘楽町国峰
前田利家・上杉景勝や金森長近らの主力が上野松井田城を包囲するなか、上杉氏の先鋒を務める藤田信吉は上野国峰城の攻略に向かう。
国峰城の小幡氏はもともと上野守護上杉氏に従っていたが、その後、武田氏・織田氏に従い、このころは北条氏に臣従していた。
当主の小幡信定は小田原城に参陣していたため、留守を子の小幡信氏が守っていた。
信氏は宮崎城(現・富岡市)を守備していたが、事前に織田信雄家臣の岡田利世を通じて内通していたようであり、豊臣勢の北陸軍が侵攻すると降伏して前田軍に投降した。
その後信氏は小幡氏本拠の国峯城攻略の先兵となり、城を守備していた叔父の小幡信秀夫妻を殺害した。 -
箕輪城の戦い(みのわじょうのたたかい) [豊臣秀吉の関東平定]
1590年4月24日
群馬県高崎市箕郷町西明屋
箕輪城
上野松井田城を落とした前田利家・上杉景勝・真田昌幸らは、西牧城・国峰城・厩橋城を落として大導寺政繁の案内で上野箕輪城に向かう。
このとき箕輪城を守っていたのは、武蔵鉢形城主・北条氏邦の家臣の垪和信濃守である。
氏邦は、豊臣勢の襲来を予期して箕輪城を改修補強させていたが、城兵は一戦も交えず、4月24日に降伏開城した。
こののち信濃高遠城主・保科正直が城の請け取りにあたり、前田利家に引き渡している。 -
鉢形城の戦い(はちがたじょうのたたかい) [豊臣秀吉の関東平定]
1590年5月19日 ~ 14日
埼玉県大里郡寄居町鉢形
鉢形城 曲輪
5月19日、前田利家・利長父子、上杉景勝・真田昌幸の北国勢と、浅野長政・本多忠勝・島田利正・鳥居元忠ら徳川勢の連合軍は、3万5000余の軍勢で武蔵鉢形城を包囲する。
城主の北条氏邦は、小田原城で籠城している北条氏政の弟であった。
鉢形城は稀に見る頑強な要害であったため、1ヶ月近く籠城を続けたものの、抗戦の不利を悟って降伏開城する。
このとき自刃するため菩提寺正龍寺に入った氏邦は、利家によって一命を助けられ、のち利家とともに金沢に移った。
徳川家康の関東討入にともない、鉢形城は成瀬正一・日下部定好が代官となって周辺の統治を行った。
-
八王子城の戦い(はちおうじじょうのたたかい) [豊臣秀吉の関東平定]
1590年6月22日 ~ 23日
東京都八王子市元八王子町
天正18年(1590)鉢形城を攻略した前田利家・上杉景勝・真田昌幸・信幸父子ら北国勢は、後北条氏の副都心ともいえる武蔵八王子城を包囲する。
八王子城主は北条氏政の弟である北条氏照で、城代の横地吉信のほか、狩野一庵・中山家範・近藤綱秀ら1000余で守っていた。
豊臣勢は翌6月23日に総攻撃を仕掛け、城代の吉信が城から脱出し城主・北条氏照を欠いたまま半日で落城した。
小田原城に対する見せしめのために徹底した攻城が指示され、敵味方の相交える鉄砲の音は雷のようだったという。
このとき氏照の正室をはじめとする女性たちは、滝に身を投げた。
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