武将名鑑【覇道】
武田勝頼(たけだかつより)
武田勝頼(たけだかつより)
武田勝頼 の能力値 | |||||
---|---|---|---|---|---|
統率
部隊の攻撃や防御を定め、通常攻撃のダメージに影響 |
711 (17 位) | ||||
武勇
部隊の武勇を定め、武勇戦法ダメージ、状態変化率に影響 |
711 (12 位) | ||||
知略
部隊の知略を定め、知略戦法のダメージ、状態変化率に影響 |
480 (52 位) | ||||
政治
部隊の破壊を定め、要所や城門などへのダメージに影響 |
391 (62 位) | ||||
合計 | 2293 (35 位)105人中 | ||||
戦闘力 | 4269 | ||||
天賦 | 800 | ||||
b | |||||
s | |||||
b |
その他のデータ | 歴史 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
レアリティ | 甲斐の戦国大名。信玄の四男。家督相続後は強硬策で領国を広げるが、長篠合戦での大敗により家臣団が瓦解。織田軍に追い詰められ、天目山で自害した。 | ||||||||||
声優(CV) | 岡野友佑 | ||||||||||
戦法 | |||||||||||
虎臥雄渾 | 自身と一門衆を含む味方2部隊の破壊を20%上昇 対象を含む敵2部隊の武勇を20%低下させ、武勇200%の攻撃 |
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「臥虎(がこ)」とは寝そべっている虎のこと。 武田勝頼は、甲斐の虎と呼ばれた武田信玄の嫡男である。 |
技能
不敵
効果レベル | 効果 |
---|---|
Ⅰ | 敵大名家の領土内で戦闘する場合、戦法による被ダメージ-5% |
Ⅱ | 敵大名家の領土内で戦闘する場合、戦法による被ダメージ-7% |
Ⅲ | 敵大名家の領土内で戦闘する場合、戦法による被ダメージ-9% |
Ⅳ | 敵大名家の領土内で戦闘する場合、戦法による被ダメージ-12% |
Ⅴ | 敵大名家の領土内で戦闘する場合、戦法による被ダメージ-15% |
練磨
効果レベル | 効果 |
---|---|
Ⅰ | 道場に任命した場合、任命効果+4% |
Ⅱ | 道場に任命した場合、任命効果+8% |
Ⅲ | 道場に任命した場合、任命効果+12% |
威光
効果レベル | 効果 |
---|---|
Ⅰ | 自身が大将の場合、部隊の兵力+8% |
Ⅱ | 自身が大将の場合、部隊の兵力+11% |
Ⅲ | 自身が大将の場合、部隊の兵力+17% |
Ⅳ | 自身が大将の場合、部隊の兵力+25% |
Ⅴ | 自身が大将の場合、部隊の兵力+35% |
秘伝
攻撃戦法の妙技
条件 : 繋がった配置の武将と同じ縁が合計2以上
系統 : 戦法
効果レベル | 効果 |
---|---|
Ⅰ | 習得した武将の戦法の攻撃威力+10% |
Ⅱ | 習得した武将の戦法の攻撃威力+20% |
Ⅲ | 習得した武将の戦法の攻撃威力+30% |
Ⅳ | 習得した武将の戦法の攻撃威力+40% |
Ⅴ | 習得した武将の戦法の攻撃威力+50% |
武田勝頼が登場する合戦
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滝山城の戦い(たきやまじょうのたたかい) [武田信玄の相模侵攻]
1569年9月
東京都八王子市丹木町
-
三増峠の戦い(みませとうげのたたかい) [武田信玄の相模侵攻]
1569年10月6日
神奈川県愛甲郡愛川町三増
-
蒲原城の戦い(かんばらじょうのたたかい) [武田信玄の駿河平定]
1569年12月5日 ~ 6日
静岡県静岡市清水区蒲原
-
花沢城の戦い(はなざわじょうのたたかい) [武田信玄の駿河平定]
1570年1月13日 ~ 1月27日
静岡県焼津市高崎
懸川城の戦いに敗れた今川氏真が没落したあとも、花沢城代の小原鎮実(大原資良)は武田信玄の勧降を拒否して抵抗を続けていた。
永禄13年(1570年)正月、蒲原城を落とした武田信玄は続いて高草山中腹に布陣し、武田勝頼・武田信廉・長坂長閑(光堅)らに花沢城を攻撃させた。
武田勢の猛攻をうけた花沢城は14日間に渡り奮戦したが、27日に落城し、鎮実は城を脱出して遠江高天神城に逃れた。
こののち鎮実は、高天神城の戦いでも武田氏に抵抗を続けている。
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韮山城の戦い(にらやまじょうのたたかい) [武田信玄の駿河平定]
1570年8月9日
静岡県伊豆の国市韮山韮山
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明智城の戦い(あけちじょうのたたかい) [武田信玄・勝頼の遠江・三河信仰]
1574年2月5日
岐阜県恵那市明智町
天正2年(1574年)2月、武田勝頼は織田信長を圧迫するため東濃に15000余の軍勢で出陣し、遠山氏の重要な拠点であった明智城を攻撃する。
このころ明智城は、元亀3年 (1572年) の上村の戦いで城主の遠山景行とその子の景玄が敗死していたため、景玄の子の遠山一行と叔父の遠山友治ら500の兵が守っていた。
明智城の重要性を理解していた織田信長は、2月5日に嫡男の信忠、明智光秀や美濃の諸将(池田・蜂屋・河尻・森・塚本)など尾張・美濃の軍勢3万の兵を率いて出陣したが、武田方の信長の周囲を固めた16騎のうち9騎が打ち取られ、7騎が逃げ出すなど、信長を瀬戸際まで追い詰める場面もあったという。
織田軍は明智城を赴援できず、明智城の開城をみて2月24日に岐阜に帰陣した。
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高天神城の戦い(たかてんじんじょうのたたかい) [武田信玄・勝頼の遠江・三河信仰]
1574年5月12日 ~ 6月17日
静岡県掛川市上土方嶺向
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長篠城の戦い(ながしのじょうのたたかい) [武田信玄・勝頼の遠江・三河信仰]
1575年4月21日 ~ 5月20日
愛知県新城市長篠
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設楽原の戦い(したらがはらのたたかい) [武田信玄・勝頼の遠江・三河信仰]
1575年5月21日
愛知県新城市長篠一帯
設楽原古戦場 馬防柵
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田野城の戦い(たのじょうのたたかい) [織田信長の甲斐・信濃平定]
1582年3月11日
山梨県甲州市大和町田野
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