武将名鑑【信長の野望 新生】
小田政光(おだまさみつ)
小田政光(おだまさみつ)
小田政光 の能力値 | |||||
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統率
出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。 |
57 (966 位) | ||||
武勇
出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、 |
61 (762 位) | ||||
知略
出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、 |
65 (649 位) | ||||
政務
城の収入に影響する。 |
61 (749 位) | ||||
合計 | 244 (589 位)2201人中 |
小田政光 の基礎データ | |||||
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性別 | 男 | ||||
父 | 小田元光 | ||||
配偶者・正室 | 龍造寺家門の娘 |
その他のデータ | 列伝 | ||||||||||
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誕生年 | 1509年 | 少弐家臣。肥前蓮池城主。龍造寺隆信の家督相続に反対した東肥前十九将の1人で、隆信と争う。隆信の肥前復帰後は隆信に仕え、江上武種討伐戦で戦死した。 | |||||||||
死亡年 | 1558年 | ||||||||||
主義
革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。 |
中道 | ||||||||||
戦法
合戦で使える特殊な技。 |
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混乱 | 敵部隊に混乱付与 |
シナリオ | |||||||||||||||
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年月 | シナリオ | 年齢 | |||||||||||||
1546年1月 | 信長元服 | 38 | |||||||||||||
1553年4月 | 尾張統一 | 45 | |||||||||||||
1560年4月 | 桶狭間の戦い | 死亡 | |||||||||||||
1570年4月 | 信長包囲網 | 死亡 | |||||||||||||
1582年5月 | 夢幻の如く | 死亡 |
小田政光が登場する合戦
-
田手畷の戦い [大内氏の九州進出と少弐氏]
1530年8月15日
佐賀県神崎郡吉野ヶ里町田手
-
水ヶ江城の戦い [少弐氏の滅亡と龍造寺氏]
1545年3月
佐賀県佐賀市水ヶ江町
天文14年(1545年)正月の水ヶ江城の戦いに敗れた龍造寺氏は、一族が離散を余儀なくされていた。
しかも、当主の家兼が筑後柳川で逼塞している間に、家兼の子の家純・家門と孫の周家・純家・頼純・家泰が、馬場頼周・神代勝利らによって謀殺されてしまったのである。
家兼は90歳を超えた高齢であったため、厳しい追及を受けずに済んでいる。
3月、肥前への復帰を図るために蒲池氏の支援を受け挙兵した家兼は、自らの居城であった水ヶ江城を攻撃した。
城を守る小田資光の子の政光の兵が城を明け渡したため、水ヶ江城を奪還している。
-
八戸城の戦い [少弐氏の滅亡と龍造寺氏]
1553年8月8日
佐賀県佐賀市八戸
天文20年(1551年)、土橋栄益が龍造寺鑑兼を龍造寺当主に擁立せんとして龍造寺隆信に反旗を翻した際、八戸宗暘は神代勝利・江上武種・小田政光・筑紫惟門らと共に栄益に与して、龍造寺隆信を肥前村中城から追放し筑後国へと追い遣った。
2年近く筑後に逼塞していた龍造寺隆信は肥前へ復帰するべく、筑後柳川城主の蒲池鑑盛の支援を得て、天文22年(1553年)7月25日に肥前に侵入すると、対立していた八戸宗腸が守る八戸城を攻撃する。
八戸城には神代勝利が後詰を送ってきたが、8月8日に降伏開城した。
その後、八戸宗腸は神代勝利と共に隆信に和睦を請うと、自らの室が隆信の姉(妹とも)であることから許され、隆信より奪った領地を返還の上で八戸城へと戻された。
ただし、宗暘は嫡子の飛車松を人質に出すよう隆信より命じられても履行しなかった。
またこの際、村中城を守備していた小田政光は隆信に恭順し、城主に擁立されていた龍造寺鑑兼は隆信の正室の兄であったため佐嘉郡に帰らせて所領を与えられ、土橋栄益は捕えられて処刑された。
隆信は居城であった村中城に復帰し肥前の奪還を果たしたのであった。
-
加与丁の戦い [少弐氏の滅亡と龍造寺氏]
1553年10月8日
佐賀県佐賀市諸富町大堂
龍造寺隆信が肥前村中城から追い出された後、龍造寺鑑兼が名目上の城主となっていたが、実際には少弐冬尚の家臣で小田資光の子である小田政光が実権を握っていた。
村中城に復帰した隆信は、天文22年(1553年)10月、政光の居城である蓮池城を攻撃する。
政光は城から打って出ると、肥前加与丁で龍造寺勢を迎え撃つが、敗れて蓮池城に撤退した。
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