武将名鑑【信長の野望 新生】
本願寺証如(ほんがんじしょうにょ)
本願寺証如(ほんがんじしょうにょ)
本願寺証如 の能力値 | |||||
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統率
出陣部隊の防御力、城の防御力に影響する。 |
73 (297 位) | ||||
武勇
出陣部隊の攻撃力、強攻時に敵城に与えるダメージ、 |
25 (2161 位) | ||||
知略
出陣部隊の包囲時のダメージ量、城の包囲時の防御力、 |
71 (398 位) | ||||
政務
城の収入に影響する。 |
86 (52 位) | ||||
合計 | 255 (459 位)2201人中 |
本願寺証如 の基礎データ | |||||
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性別 | 男 | ||||
幼名 | 光仙丸 | ||||
法号・戒名 | 信受院 | ||||
父 | 本願寺円如 | ||||
配偶者・正室 | 顕能尼(庭田重親の娘) |
その他のデータ | 列伝 | ||||||||||
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誕生年 | 1516年 | 本願寺10世法主。日蓮宗徒と六角定頼に山科本願寺を焼き討ちされ、石山本願寺に本山を移した。蓮如の書状を集めて出版し、諸方の末寺や門徒に配った。 | |||||||||
死亡年 | 1554年 | ||||||||||
主義
革新、中道、保守の3種類ある。忠誠の増減に関係する。 |
保守 | ||||||||||
特性
武将の個性。政略、軍事など、様々な場面で効果を得られる。 |
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人脈 | 遠国登用に関する具申が可能 | ||||||||||
策謀 | 特殊な調略具申が可能 | ||||||||||
戦法
合戦で使える特殊な技。 |
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治癒 | 自部隊の兵力回復 |
シナリオ | |||||||||||||||
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年月 | シナリオ | 年齢 | |||||||||||||
1546年1月 | 信長元服 | 31 | |||||||||||||
1553年4月 | 尾張統一 | 38 | |||||||||||||
1560年4月 | 桶狭間の戦い | 死亡 | |||||||||||||
1570年4月 | 信長包囲網 | 死亡 | |||||||||||||
1582年5月 | 夢幻の如く | 死亡 |
本願寺証如が登場する合戦
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飯盛山城の戦い [細川晴元と堺公方]
1532年5月 ~ 6月15日
大阪府四条綴市南野
これに対し細川晴元は、富松城の薬師寺国盛のほか伊丹城の高畠長直や池田城の池田信正に命じて進撃を阻止させようとした。
河内守護代の木沢長政が細川晴元に通じて守護の畠山義堯から離反したため、享禄5年(1532年)5月、態勢を整えた義堯は三好海雲(元長)と結んで、長政の居城である河内飯盛山城を攻撃した。
木沢長政は細川晴元に援軍を要請したが、畠山・三好連合軍の攻囲を排除させるには至らなかった。
自軍での武力排除を断念した晴元・長政らは、山科本願寺の第10世法主証如に一揆軍の蜂起を要請する。
17歳になった証如は、祖父の実如の遺言であった「諸国の武士を敵とせず」という禁を破って、6月5日に山科本願寺から大坂に移動し、摂津・河内・和泉の本願寺門徒に動員をかけた。
これに応じた門徒は3万に及んだ。6月15日に飯盛山城を包囲する畠山義堯らを背後から襲った本願寺一揆軍は、三好勝宗を含む200余兵を討ち取り、退却する畠山義堯を南河内まで追撃して捕らえ、6月17日に門徒の集会所である石川道場で自害に追い込んだ。
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本願寺の戦い [細川晴元と堺公方]
1532年8月23日 ~ 24日
京都府京都市山科区西野山階町
本願寺派門徒の攻撃を受けた細川晴元は洛中の法華一揆と結び、享禄5年(1532)8月7日、法華一揆勢は京都山科の本願寺の寺院を次々と攻撃する。
8月8日、細川軍も堺から出撃して大坂御坊を攻撃し、一向一揆を破る。
12日には六角軍と連合して蓮淳のいる大津の顕証寺を攻め落とし、16日と17日は東山で一向一揆と戦う。
23日には近江守護・六角定頼の加勢を得た晴元配下の柳本信堯が、証如のいる山科本願寺を3万の大軍で総攻撃を加えた。
三重の土塁堀に囲まれた本願寺も、細川勢の猛攻を防ぎきれず、灰燼に帰してしまう。
翌日24日に水落から寺内に攻め込んで山科本願寺は落城。
その後、宗主である証如が逗留していた大坂御坊が、本願寺を継承した。
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伊丹城の戦い [細川晴元と堺公方]
1533年3月5日 ~ 29日
兵庫県伊丹市伊丹
本願寺第10世証如は、洛北鞍馬で挙兵した細川高国の弟の晴国と結び、細川晴元に攻勢をかけようとしていた。
そうしたなか証如の檄に応じた一向一揆勢は、天文2年(1533年)3月5日、晴元方の伊丹親興が守る摂津伊丹城を攻撃する。
一向一揆勢は、伊丹城の堀を埋めるなどして攻城を続けたが、将軍・足利義晴の管領である細川晴元と管領代の茨木長隆の命令を受けた木沢長政は、3月29日、糾合した法華衆の一揆勢とで一向一揆勢を挟撃し、門徒ら500人余を討ち取った。
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