長尾景春の乱
長尾景春の乱
1476年6月
古河公方城址
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五十子の戦い(いかっこのたたかい)
1476年6月 ~ 1477年1月18日
埼玉県本庄市東五十子
長尾景春
WIN
上杉顕定
上杉定正
LOSE
溝呂木要害の戦い(みぞろぎようがいのたたかい)
1477年3月18日
神奈川県厚木市
太田道灌
WIN
溝呂木正重
LOSE
平塚城の戦い(ひらつかじょうのたたかい)
1477年4月13日
東京都北区西ヶ原
太田道灌
LOSE
豊島泰明
WIN
江古田原・沼袋原の戦い(えこだはら・ぬまぶくろはらのたたかい)
1477年4月14日
東京都中野区沼袋・松が丘
太田道灌
WIN
豊島泰経
豊島泰明
LOSE
石神井城の戦い(しゃくじいじょうのたたかい)
1477年4月14日 ~ 21日
東京都練馬区神井台
太田道灌
WIN
豊島泰経
LOSE
用土原の戦い(ようどはらのたたかい)
1477年5月14日
埼玉県大里郡寄居町用土
太田道灌
WIN
長尾景春
LOSE
塩売原の戦い(しおうりはらのたたかい)
1477年10月2日 ~ 11月14日
群馬県前橋市富士見町原之郷
太田道灌
DRAW
長尾景春
DRAW
平塚城の戦い(ひらつかじょうのたたかい)
1478年1月25日
東京都北区西ケ原
上杉定正
太田道灌
WIN
豊島泰経
LOSE
小机城の戦い(こづくえじょうのたたかい)
1478年2月6日 ~ 4月11日
神奈川県横浜市港北区
太田道灌
WIN
豊島泰経
矢野兵庫
LOSE
鉢形城の戦い(はちがたじょうのたたかい)
1478年7月17日
埼玉県大里郡寄居町
太田道灌
WIN
長尾景春
LOSE
境根原の戦い(さかいねはらのたたかい)
1478年12月10日
千葉県柏市酒井根
太田道灌
WIN
千葉隆胤
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臼井城の戦い(うすいじょうのたたかい)
1479年1月18日 ~ 7月15日
千葉県佐倉市臼井
太田道灌
千葉自胤
WIN
千葉孝胤
臼井持胤
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文明11年(1479年)1月18日、扇谷上杉氏の重臣・太田道灌と武蔵千葉氏の千葉自胤は、下総千葉氏の千葉孝胤が守る臼井城を包囲した。
千葉孝胤は千葉自胤と千葉氏当主の座を争っており、境根原の戦いで敗れた孝胤が、一族の臼井持胤の居城である臼井城に逃れていたためである。
太田道灌の勢力が千葉孝胤方だった海上師胤・武田信高ら下総・上総の国衆を降伏させ、臼井城は孤立する。
臼井城は7か月も籠城したが、結局、7月15日に落城した。
この戦いで、太田道灌の甥の太田資忠が討死したという。
臼井城の陥落後、すぐに千葉孝胤は復権し、千葉自胤側の勢力を下総から駆逐した。
このため千葉孝胤と長尾景春の連携を絶つという目標は達したが、もう一つの目標である千葉自胤の下総復帰は達成できなかった。
その後、太田道灌は馬橋城を築き、下総に進出する拠点を確保したが、文明16年(1484年)に道灌が亡くなると、扇谷上杉勢力は馬橋から撤退することになった。
日野城の戦い(ひのじょうのたたかい)
1480年6月13日
埼玉県秩父郡皆野町
太田道灌
WIN
長尾景春
LOSE
文明10年(1478年)7月の鉢形城の戦いに敗れ居城の鉢形城を奪われていた長尾景春は、文明12年(1480年)6月、最後の拠点である武蔵日野城に籠城したが、国衆の支援を受けられず孤立していた。
太田道灌によって日野城を攻められた景春は、6月13日に古河御所の足利成氏を頼って落ち延びた。
このことで、関東を4年間にわたって混乱された長尾景春の乱は終結した。