今日は何の日?

  • ● 1557年 毛利元就が周防を平定
  • ● 1574年 織田信長が朝廷より名香木の蘭奢待を拝領する
  • ● 1611年 豊臣秀頼が徳川家康と二条城で会見
  • ● 1557年 毛利元就が周防を平定
  • ● 1574年 織田信長が朝廷より名香木の蘭奢待を拝領する
  • ● 1611年 豊臣秀頼が徳川家康と二条城で会見

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この人誰?

高坂昌信

永正の錯乱

1504年9月

細川高国と細川澄元

目次[非表示]

淀城の戦い(よどじょうのたたかい)

1504年9月4日 ~ 19日

京都府京都市伏見区納所北城堀

薬師寺元一

LOSE

細川政元

薬師寺長忠

WIN

細川殿の変(ほそかわどののへん)

1507年6月23日

京都府京都市上京区百々町付近

香西元長

薬師寺長忠

WIN

細川政元

LOSE

百々橋の戦い(どどばしのたたかい)

1507年6月24日

京都府京都市上京区百々町付近

香西元長

薬師寺長忠

WIN

細川澄元

三好之長

LOSE

茨木城の戦い(いばらきじょうのたたかい)

1507年7月28日

大阪府茨木市片桐町

薬師寺万徳丸

WIN

薬師寺長忠

LOSE

遊初軒の戦い(ゆうしょけんのたたかい)

1507年8月1日

京都府京都市上京区百々町付近

三好之長

細川高国

細川政賢

細川尚春

WIN

細川澄之

香西元長

薬師寺長忠

LOSE

永正4年(1507年)7月28日の茨木城の戦いで薬師寺元一の子の万徳丸は、薬師寺長忠の居城を攻め落とした。
続いて翌29日に、細川高国らは香西元長の居城嵐山城を攻め落とした。

8月1日、細川澄元は逃亡先の近江甲賀郡の国人らを味方に引き入れ急ぎ京に戻った三好之長のほか細川高国・細川政賢・細川尚春らを派兵して、細川澄之の最後の砦として邸宅としていた遊初軒を急襲させる。

不意の攻撃を受けて敗れた澄之は自刃し、澄之配下の香西元長・薬師寺長忠らもことごとく討死した。

勝報を受けた澄元は近江甲賀から上洛すると、翌8月2日には将軍・足利義澄に拝謁し、細川京兆家の家督相続を認められ、摂津・丹波・讃岐・土佐の守護職を得ている。

池田城の戦い(いけだじょうのたたかい)

1508年4月21日 ~ 5月10日

大阪府池田市城山町

細川高国

WIN

池田貞正

池田久宗

LOSE

細川澄之の敗死後、政元の残る二人の養子の細川澄元と細川高国の兄弟同士の対立が表面化する。

水正5年(1508年)4月9日、高国が伊丹元扶・内藤貞正ら摂津・丹波の国衆を糾合して挙兵すると、 抵抗しきれないと判断した澄元と三好之長は、将軍の足利義澄とともに、近江守護代である伊庭貞隆を頼り、近江に落ちのびた。

高国方への帰服を拒み続けていた池田貞正は居城の摂津池田城で激しい攻撃に持ち堪えるも、池田氏の中で力をもっていた池田正盛が高国へ寝返ったことがきっかけで池田城が落城し、5月10日に自刃した。

子の久宗はかろうじて城から脱出した。

その後細川高国は、降伏を許すと称して芥川信方を堺におびき出して謀殺し、大内義興と共に入京し足利義稙を将軍に復職させ、自らは7月18日に右京大夫・管領に任ぜられた。

これにより摂津は高国によって平定された。

如意岳の戦い(にょいだけのたたかい)

1509年6月17日

京都府京都市左京区鹿ヶ谷大黒谷町

三好之長

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細川高国

WIN

岡山城の戦い(おかやまじょうのたたかい)

1510年2月26日

滋賀県近江八幡市牧町

細川高国

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足利義澄

伊庭貞隆

WIN

鷹尾城の戦い(たかおじょうのたたかい)

1511年8月8日 ~ 10日

兵庫県芦屋市城山

細川澄元

赤松義村

WIN

河原林正頼

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船岡山の戦い(ふなおかやまのたたかい)

1511年8月23日 ~ 24日

京都府京都市北区紫野北舟岡町

細川高国

WIN

細川澄元

細川政賢

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島郷の戦い(しまごうのたたかい)

1516年8月

滋賀県近江八幡市島町

六角氏綱

WIN

伊庭貞説

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田中城の戦い(たなかじょうのたたかい)

1519年10月22日

兵庫県三田市田中

河原林正頼

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越水城の戦い(こしみずじょうのたたかい)

1519年11月21日 ~ 1520年2月3日

兵庫県西宮市桜谷町

細川澄元

三好之長

WIN

河原林正頼

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大物の戦い(たいもつのたたかい)

1520年2月16日

兵庫県尼崎市大物町

細川澄元

WIN

細川高国

細川尹賢

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越水城の戦いで敗北した細川高国・細川尹賢らは後退し、永正17年(1520年)2月16日に細川澄元の軍勢と摂津の大物で戦いとなる。

この戦いにも敗れた細川高国・細川尹賢らは伊丹城・池田城を放棄し京都に敗走し、南近江の六角定頼を頼った。

岡山城の戦い(おかやまじょうのたたかい)

1520年4月 ~ 7月27日

滋賀県近江八幡市牧町

細川高国

WIN

伊庭貞説

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等持院表の戦い(とうじいんおもてのたたかい)

1520年5月5日

京都府京都市北区等持院町

細川高国

WIN

細川澄元

三好之長

LOSE

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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬