松平氏と織田氏・今川氏
松平氏と織田氏・今川氏
1524年5月
織田信長と今川義元
目次[非表示]
山中城の戦い(やまなかじょうのたたかい)
1524年5月28日
愛知県岡崎市舞木町城山
大永4年(1524年)5月、三河安祥城主の松平清康が、同族の岡崎城主である松平信貞の属城の山中城を攻撃した。
山中城は岡崎松平氏の本拠である岡崎城に次ぐ重要な拠点であった。
山中城を攻略した清康は、ここを居城とし岡崎城の信貞を圧迫した。
こののち清康は岡崎城も攻略すると、信貞の居城であった旧岡崎城は破棄し、現在地の龍頭山に新岡崎城を移転し、岡崎を松平氏の新たな拠点とした。
吉田表の戦い(よしだおもてのたたかい)
1529年5月28日
愛知県豊橋市今橋町
岩崎城の戦い(いわさきじょうのたたかい)
1529年7月17日
愛知県日進市岩崎町
享禄2年(1529年)5月28日に吉田表の戦いで牧野信成を破った松平清康は、その勢いに乗じて吉田城の南方・渥美郡田原に進軍。
7月、 織田信秀配下の荒川頼宗が300余の兵で守る岩崎城を7000余の軍勢で攻撃した。
織田信秀が尾張の東端を守るために築城した岩崎城を奪取した清康は、逆にこれを尾張侵攻の足がかりとする。
しかし天文4年(1535)、清康が「守山崩れ」によって暗殺されると松平勢は撤退し、岩崎城は尾張本郷城主である丹羽氏清の居城となった。
品野城の戦い(しなのじょうのたたかい)
1529年7月17日
愛知県瀬戸市上品野町
岩津表の戦い(いわづおもてのたたかい)
1533年3月20日
愛知県岡崎市岩津町
井田の戦い(いだのたたかい)
1535年12月27日
愛知県岡崎市井田町
牟呂城の戦い(むろじょうのたたかい)
1536年
愛知県西尾市室町
三木城の戦い(みつぎじょうのたたかい)
1543年8月10日
愛知県岡崎市上三ツ木町
清田畷の戦い(さいだなわてのたたかい)
1545年9月20日
愛知県安城市安城町赤塚
上野城の戦い(うえのじょうのたたかい)
1546年9月6日
愛知県豊田市上郷町藪間
田原城の戦い(たはらじょうのたたかい)
1547年9月5日
愛知県田原市田原町
渡河原の戦い(わたりがわらのたたかい)
1547年9月28日
愛知県岡崎市渡町
小豆坂の戦い(あずきざかのたたかい)
1548年3月19日
愛知県岡崎市羽根町小豆坂
明大寺の戦い(みょうだいじのたたかい)
1548年4月15日
愛知県岡崎市明大寺町
小豆坂の戦い後に松平広忠と対立していた叔父の桜井松平信孝は、天文17年(1548年)4月15日、岡崎城を攻略するため三河山崎城を出陣、矢作川を越え岡崎城に迫った。
両軍は明大寺で衝突した。
広忠は信孝の生捕りを望んだが家臣の放った矢が信孝の左の脇に当たり討死。
広忠軍が勝利した。
これにより松平一族の内訌が終息するかにみえたが、翌天文18年(1549年)には広忠が家臣に暗殺され、西三河は再び混乱に陥る。
安祥城の戦い(あんじょうじょうのたたかい)
1549年11月8日
愛知県安城市安城町赤塚
赤塚の戦い(あかつかのたたかい)
1553年4月17日
愛知県名古屋市緑区鳴海町
村木砦の戦い(むらきとりでのたたかい)
1554年1月24日
愛知県知多郡東浦町森岡
品野城の戦い(しなのじょうのたたかい)
1558年3月7日
愛知県瀬戸市上品野町
竹村長方
磯田貞秋
戸崎治弘
LOSE
松平家次
WIN
桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)
1560年5月19日
愛知県名古屋市緑区
桶狭間古戦場
この合戦に登場する武将
-
松平清康 (まつだいらきよやす)
松平家7代当主。13歳で家督を継ぐ。積極的な軍事行動で三河を平定し、尾張の織田信秀と戦うが、いわゆる守山崩れにおいて家臣・阿部弥七郎に殺された。
-
織田信秀 (おだのぶひで)
尾張の戦国大名。「尾張の虎」と呼ばれた猛将で、尾張統一を目指して近隣の今川家、斎藤家らと抗争を続けたが、志半ばにして流行病にかかり、急死した。
-
松平広忠 (まつだいらひろただ)
三河の戦国大名。清康の子。一時は居城の岡崎城を追われるがのちに復帰。今川義元の庇護を受けて領国経営を進めるが反松平派の刺客・岩松八弥に殺された。
-
天野景貫 (あまのかげつら)
今川家臣。犬居城主。田原本宿の合戦で功を立てた。主家滅亡後は武田家に仕え徳川家と戦う。武田家滅亡後は北条家に属し、佐竹家との戦いで功を立てた。
-
太原雪斎 (たいげんせっさい)
今川家臣。執権を務めた。小豆坂の合戦で織田軍を破り、甲相駿三国同盟を成立させるなど、主家の政治、文化、経済、軍事、外交すべてに大きく貢献した。
-
朝比奈泰能 (あさひなやすよし)
今川家臣。掛川城主を務める。1548年の小豆坂合戦において、太原雪斎を補佐して織田信秀の軍を破るなど、今川家の西方侵攻軍の先鋒として活躍した。
-
大久保忠俊 (おおくぼただとし)
徳川家臣。主君・広忠の岡崎帰城に尽力し、また三河一向一揆が勃発した際には主君・家康を助けて一揆勢を撃破するなど、主家の苦難時代を支え続けた忠臣。
-
織田信広 (おだのぶひろ)
織田家臣。信秀の長男。信長の庶兄。小豆坂の戦いでは先陣を務める。のちに謀反を画策するも信長に許され、心を入れ替えて働くが、伊勢長島攻めで戦死。
-
織田信長 (おだのぶなが)
信秀の嫡男。今川義元を桶狭間で破る。以後、天下布武を標榜して敵対勢力を次々と滅ぼした。天下統一を目前にして、明智光秀の謀叛に遭い本能寺に散った。
-
今川義元 (いまがわよしもと)
駿河の戦国大名。異母兄・玄広恵探を倒して家督を継ぐ。甲相駿三国同盟を結んで後顧の憂いを断ち、上洛の途につくが桶狭間で織田信長の奇襲を受け、絶命。
-
徳川家康 (とくがわいえやす)
江戸幕府の創始者。広忠の子。桶狭間の合戦後に自立。織田家との同盟、豊臣家への従属を経て勢力を拡大する。関ヶ原合戦で勝利を収め征夷大将軍となった。
-
朝比奈泰朝 (あさひなやすとも)
今川家臣。泰能の子。駿河を追われた主君・氏真を居城・掛川城に迎え入れ、徳川軍と戦う。5カ月の籠城戦の末に開城し、氏真とともに相模に落ち延びた。
-
岡部元信 (おかべもとのぶ)
今川家臣。桶狭間合戦では主君・義元の首級を駿河に持ち帰った。主家滅亡後は武田家に仕え、高天神城主となるが、徳川家康の攻撃を受けて落城、戦死した。