三好三人衆と松永久秀
三好三人衆と松永久秀
1565年5月
松永久秀と三好長逸
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二条御所の変(にじょうごしょのへん)
1565年5月19日
京都府京都市上京区武衛陣町
二条御所 二の丸御殿
筒井城の戦い(つついじょうのたたかい)
1565年11月18日
奈良県大和郡山市筒井町
二条御所の変で将軍の足利義輝を弑逆した三好三人衆と松永久秀は、やがて三好氏の実権をめぐり対立するようになる。
そうしたなか、かねてより久秀と抗争をくりひろげてきた筒井藤勝丸(順慶)は、長慶の甥で三好氏の当主となった三好義継や三好三人衆と同盟を結び勢力回復を図ろうとした。
永禄8年(1565年)11月16日、手始めに三好軍は松永軍に属していた飯盛山城を攻撃した。
この動きをみた松永久秀は18日に、三好軍と歩調がまだ揃っていない筒井城を奇襲する。
松永軍の手際の良さに箸尾高春・高田当次郎らの国人衆が順慶を見限って松永軍に寝返えり、また三好三人衆からの援軍は間に合わなかたっため、筒井藤勝丸は自落して、一族の布施氏を頼って布施城に落ち延びた。
上野芝の戦い(うえのしばのたたかい)
1566年2月17日
大阪府堺市西区上野芝町
永禄8年(1565年)11月、三好三人衆は、松永久秀の属城である河内飯盛山城にいた三好義継を河内高屋城に迎え、庇護下におく。
三好康長や安宅信康ら一門衆も三好三人衆側に加担し、三人衆が新たに担いだ14代将軍・足利義栄からも討伐令を出されるなど、久秀は三好家中で孤立してしまう。
翌永禄9年(1566年)2月、松永久秀は和泉・堺に拠る畠山高政・安見宗房主従と同盟を結び根来衆とも連携し義継の居城高屋城を攻撃するも、三好義継・三好三人衆が久秀を討つため1万3000余の兵を率いて出陣した。
2月17日、松永方は城を出て、三人衆と同盟者の筒井順慶と河内上野芝で戦うが、両者の挟撃を受け敗れた。
高屋城の戦い(たかやじょうのたたかい)
1566年5月24日
大阪府羽曳野市古市
筒井城の戦い(つついじょうのたたかい)
1566年6月8日
奈良県大和郡山市筒井町
越水城の戦い(こしみずじょうのたたかい)
1566年6月23日 ~ 7月13日
兵庫県西宮市桜谷町
伊丹城の戦い(いたみじょうのたたかい)
1566年7月23日 ~ 9月5日
兵庫県伊丹市伊丹
JR伊丹駅前の伊丹城(有岡城)跡
坂本の戦い(さかもとのたたかい)
1566年8月3日
滋賀県大津市坂本
中嶋城の戦い(なかじまじょうのたたかい)
1566年8月14日
大阪府大阪市淀川区木川西
東大寺の戦い(とうだいじのたたかい)
1567年4月18日 ~ 10月10日
奈良県奈良市雑司町
東大寺
この合戦に登場する武将
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三好長逸 (みよしながゆき)
三好家臣。三好三人衆の筆頭。主君・義継や松永久秀らと離合集散を繰り返し、家中に混乱を招く。のち織田信長の畿内平定軍に敗れ逃亡、行方不明となった。
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三好政康 (みよしまさやす)
三好家臣。三好三人衆の1人。松永久秀とともに将軍・足利義輝を殺害した。織田信長の畿内平定軍に敗れ、逃亡。のち豊臣家に仕え、大坂夏の陣で戦死した。
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岩成友通 (いわなりともみち)
三好家臣。三好三人衆の1人。三好家一族同様の扱いを受けた。将軍・足利義昭の挙兵に応じ、山城淀城に籠城するが、細川藤孝らの軍に攻められ、敗死した。
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松永久秀 (まつながひさひで)
三好家臣。主家を簒奪し、将軍・足利義輝を殺し、東大寺大仏殿を焼いた稀代の梟雄。のち織田信長に属し、謀叛を起こすが敗れ「平蜘蛛」とともに爆死した。
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足利義輝 (あしかがよしてる)
室町幕府13代将軍。塚原卜伝、上泉信綱らに師事した剣豪。失われた幕府権力の回復に奔走するが、のちに松永久秀らに奇襲され、孤軍奮闘の末自害した。
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箸尾高春 (はしおたかはる)
筒井家臣。知行4万石を領し、主君・順慶の妹を娶った。筒井家の伊賀転封には従わず、豊臣秀長に属す。関ヶ原合戦後に所領を失い、のち大坂城に入城した。
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筒井順慶 (つついじゅんけい)
大和の国衆。順昭の嫡男。父・順昭の夭逝により2歳で家督を継ぐ。松永久秀と争い、居城・筒井城を追われたが、のちに織田信長に従属して勢力を回復した。
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三好義継 (みよしよしつぐ)
十河一存の子。三好長慶の死後、三好三人衆の後見で宗家を継ぐ。織田信長に降るが、京を追われた足利義昭を保護したため、織田軍の攻撃を受け、敗死した。
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三好康長 (みよしやすなが)
三好家臣。長慶の叔父。咲岩と号した。織田信長の上洛軍に敗れ、家臣となる。阿波・讃岐の国衆を多く信長方に誘引した。本能寺の変後は豊臣秀吉に従った。
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安宅信康 (あたぎのぶやす)
織田家臣。冬康の子。父の死後家督を継ぎ、淡路水軍を率いる。はじめ石山本願寺と結ぶが、織田信長の畿内平定軍に降り、木津川口合戦で毛利水軍と戦った。
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畠山高政 (はたけやまたかまさ)
河内守護。政国の子。三好家と和戦を繰り返した。のちに織田信長に降って河内半国を与えられるが、家臣・遊佐信教との争いに敗北し、紀伊岩室城に逃れた。
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安見直政 (やすみなおまさ)
畠山家臣。河内交野城主。河内守護代を務めた。主君・高政を紀伊に追放し、高政の弟・昭高を擁立する。のち織田信長の畿内平定軍に降り、本願寺と戦った。
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篠原長房 (しのはらながふさ)
三好家臣。主家の領国経営の基礎となる分国法「新加制式」を制定した。三好三人衆に次ぐ地位にあったが、同族・篠原自遁に讒言され主君・長治に殺された。
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池田勝正 (いけだかつまさ)
摂津の豪族。池田城主。長正の子。織田信長の畿内平定軍に降り、伊丹家・和田家とともに「摂津三守護」と称されるが三好家に通じた一族により追放された。
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足利義昭 (あしかがよしあき)
室町幕府15代将軍。織田信長の後援で将軍職に就くがのちに対立、周辺諸国と協力して信長包囲網を敷く。自らも挙兵するが信長軍に敗れ、京を追われた。
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細川藤賢 (ほそかわふじかた)
典厩細川家当主。織田信長に擁され上洛した足利義昭に属す。義昭と信長が対立した際は挙兵を諫めるが、のち義昭とともに戦い敗北。その後は信長に仕えた。