武田信玄の相模侵攻
武田信玄の相模侵攻
1569年9月
武田信玄と北条氏康
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滝山城の戦い(たきやまじょうのたたかい)
1569年9月
東京都八王子市丹木町
小田原城の戦い(おだわらじょうのたたかい)
1569年10月1日 ~ 4日
神奈川県小田原市城内
小田原城
三増峠の戦い(みませとうげのたたかい)
1569年10月6日
神奈川県愛甲郡愛川町三増
この合戦に登場する武将
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武田信玄 (たけだしんげん)
甲斐守護。信虎の嫡男。苛烈な政策に反対して父を追放、当主となる。精強な騎馬軍団を率い、臨機応変の知略で織田信長を苦しめた。通称「甲斐の虎」。
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武田勝頼 (たけだかつより)
甲斐の戦国大名。信玄の四男。家督相続後は強硬策で領国を広げるが、長篠合戦での大敗により家臣団が瓦解。織田軍に追い詰められ、天目山で自害した。
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小山田信茂 (おやまだのぶしげ)
武田家臣。出羽守信有の子。投石を得意とする部隊を率いて各地の合戦で活躍。織田信長の甲斐侵攻軍に降るが、主君・勝頼の死後、裏切り者として斬られた。
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北条氏照 (ほうじょううじてる)
北条家臣。氏康の次男。軍事・外交の両面で兄・氏政を補佐。おもに下野や下総方面の攻略を担当した。小田原落城後、豊臣秀吉の命により、兄とともに自害。
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北条氏康 (ほうじょううじやす)
後北条家3代当主。氏綱の嫡男。武田信玄・上杉謙信ら強豪としのぎを削り、関東に一大王国を築いた。知勇兼備の名将で、戦国期随一の民政家としても著名。
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馬場信春 (ばばのぶはる)
武田家臣。武田四名臣の1人。多くの合戦に参加し一度も負傷せず「不死身の鬼美濃」と呼ばれた。長篠合戦の際に殿軍として主君・勝頼の逃亡を助け、戦死。
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内藤昌豊 (ないとうまさとよ)
武田家臣。武田四名臣の1人。武田信繁の死後、主君・信玄の副将格となる。武略に優れ、箕輪城主として西上野方面の治政を担当した。長篠合戦で戦死した。
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山県昌景 (やまがたまさかげ)
武田家臣。武田四名神の1人。兄・飯富虎昌と同様、軍装を赤で統一。内政・軍事・外交全般で主君・信玄を補佐した。長篠合戦で全身に銃弾を浴び戦死した。
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北条氏邦 (ほうじょううじくに)
北条家臣。氏康の三男。上杉家との和睦を成立させた。豊臣秀吉の小田原征伐では出撃を唱えるが退けられる。前田利家に居城・鉢形城を落とされ、降伏した。