羽柴秀吉の越中平定
羽柴秀吉の越中平定
1584年8月
佐々成政と前田利家
目次[非表示]
朝日山城の戦い(あさひやまじょうのたたかい)
1584年8月28日
石川県金沢市加賀朝日町
加賀金沢城の前田利家は、越中富山城の佐々成政に備えるために、家臣の村井長頼に越中・加賀の国境に近い朝日山に城を築かせよう命じた。
このころ前田勢の隙をうかがっていた成政は、天正12年(1584年)8月28日、家臣の佐々平左衛門に命じて、築城途中の朝日山城を急襲させたのである。
村井長頼が1500余の兵とともに防戦に努める間、利家が後詰として出陣したため、佐々勢は兵を退いた。
佐々軍に一時占拠されたが村井側が奪還した、或いは当初佐々軍が築いていたのを前田軍が奪ったなど諸説がある。
末森城の戦い(すえもりじょうのたたかい)
1584年9月9日 ~ 9日
石川県羽咋郡宝達志水町
末森城
越中富山城の佐々成政は、小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉と対峙した織田・徳川連合軍に呼応し、自らは大軍を率いて羽柴方の前田利家の属城である朝日山城(石川県金沢市加賀朝日町)を急襲。
しかし、これは前田家家臣の村井長頼がこれを撃退する。
天正12年(1584年)9月9日、そこで利家の領国である加賀国と能登国の分断をはかるべく、能登末森城を総勢15,000の兵で包囲した。
9月10日、戦闘が始まると城将奥村永福・千秋範昌らの篭城軍300人が篭城戦を展開。
戦況は佐々軍が有利であり、前田方の城代土肥次茂(土肥親真の弟)が討死するなど、落城寸前にまで追い込まれる。
9月11日、急ぎ末森城に向かった利家は2,500人を率いて出陣。
末森城の奥村永福と謀り、末森城を包囲する佐々勢を挟み打ちにした。
9月11日明け方には末森城に殺到する佐々軍の背後から攻撃し、これを破った。
両軍ともに750人余りの死者が出たとされる。
鳥越城の戦い(とりごえじょうのたたかい)
1585年4月8日
石川県河北郡津幡町鳥越
天正12年(1584年)9月の末森城の戦いで前田利家に敗れて撤退した佐々成政は、越中富山城への帰途に利家の属城の鳥越城を奪取する。
鳥越城を500余の兵で守っていた目賀田又右衛門・丹羽源十郎らは、末森城の戦いに利家が敗北したとの誤報を受け、城を捨てて逃げ去っていたという。
楽々と奪取した鳥越城に配下の久世但馬を置き、佐々成政は富山城に戻った。
それを知った前田利家は激怒し、10月14日に自ら兵を率いて鳥越城を攻めるもる佐々勢の激しい抵抗にあい退却した。
翌天正13年(1585年)4月、利家は嫡男・利勝(利長)とともに再度鳥越城を攻撃するが、奪還はならなかった。
その後鳥越城から逃げた目賀田又右衛門は追放され、同じ六角氏の家臣だった蒲生氏郷を頼り、前田家に帰れるようとりなしてもらうも帰参は許されなかった。
今石動城の戦い(いまいするぎじょうのたたかい)
1585年5月
富山県小矢部市城山町
越中富山の佐々成政は、羽柴秀吉の出陣が近いと予期して、加賀の鳥越・倶利伽羅城の2戦を放棄し、これらの城から兵を撤退させる。
一方、佐々勢が加賀から後退したのをみた前田利家は、逆に越中今石動まで進むと、天正13年(1585年)4月、新たに築城して加賀国津幡城より弟の前田秀継・利秀父子に守らせた。
5月、成政配下の神保氏張・佐々平左衛門ら5,000の兵が城下に火を放つなど攻め寄せたが、寡兵ながらも前田秀継・利秀父子は撃退に成功している。
前田秀継・利秀父子は、この功により秀吉から黄金100両と御道服を授けられたという。
阿尾城の戦い(あおじょうのたたかい)
1585年6月24日
富山県氷見市阿尾
富山城の戦い(とやまじょうのたたかい)
1585年8月22日 ~ 29日
富山県富山市呉羽町
富山市役所から見た富山城
この合戦に登場する武将
-
村井長頼 (むらいながより)
前田家臣。伊勢攻めの功により、利家から「又」の一字を貰い又兵衛と名乗る。奥村長福と共に前田家の重鎮として活躍する。金沢奉行を務め1万石を領した。
-
佐々成政 (さっさなりまさ)
織田家臣。柴田勝家に属して北陸の攻略に貢献する。本能寺の変後、羽柴秀吉と対立するが、敗れて降伏。転封先・肥後の領国経営に失敗し自害を命じられた。
-
前田利家 (まえだとしいえ)
織田家臣。数々の合戦で活躍し「槍の又左」の異名をとった。のちに柴田勝家に従って北陸平定に貢献。信長の死後は豊臣秀吉に仕え、五大老の1人となった。
-
奥村助右衛門 (おくむらすけえもん)
前田家臣。能登末森城主。佐々成政率いる1万5千の大軍を、わずか3百の兵で撃退した。この際、長福の妻が城兵を叱咤激励して回ったという逸話が残る。
-
前田利長 (まえだとしなが)
利家の嫡男。家督を相続後、謀叛の兆しありとの噂が流れるが、母・芳春院を人質に出して討伐を免れた。関ヶ原合戦で東軍に属し、加賀100万石を領した。
-
神保氏張 (じんぼううじはる)
越中の豪族。森山城主。はじめ上杉家に属すが、のちに織田家の佐々成政に仕える。成政の肥後移封に従い、国人一揆と戦った。成政の死後は徳川家に仕えた。
-
豊臣秀吉 (とよとみひでよし)
戦国一の出世頭。織田信長に仕え、傑出した人望と知略を武器に活躍し、頭角を現す。本能寺の変後、明智光秀、柴田勝家らを次々と倒し、天下に覇を唱えた。