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真田幸隆の弟として真田一族を支えた、鎌原幸定(かんばらゆきさだ)とは?【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回紹介するのは、武田氏の家臣である鎌原幸定(かんばらゆきさだ)、別名真田幸定、大和守です。
一体何をしたのでしょうね?
さっそく行ってみよう。
目次[非表示]
鎌原幸定の一生
鎌原幸定は真田頼昌の子として生まれます。
生年は不明ですが、ゲーム信長の野望では1523年と設定されています。
兄に真田幸隆がいるので、幸隆の子である真田信綱や真田昌幸からみると叔父にあたります。
他に真田綱吉、矢沢頼綱、常田隆永、海野幸景、萩原綱重などが兄弟にいます。
真田頼昌の嫡男である幸隆は真田家の家督を継ぎ、弟である幸定は上野吾妻郡の旧族である鎌原家の養子に入り、鎌原家を継ぎました。
鎌原家は鎌倉時代初期に上野三原荘(吾妻郡嬬恋村)に分かれた海野氏の一族で、『鎌原家譜』では海野小太郎幸家の次男・海野新左衛門が三原荘下屋を領して下屋幸房と称し、その孫になる下屋重友が鎌原郷に移り鎌原を称したのが始まりとされています。
息子の鎌原幸重(宮内少輔)と共に早くから武田信玄に臣従しました。
真田幸隆の吾妻郡進出に際して、鎌原幸定・幸重父子は協力し、幸隆と共に羽尾氏や岩櫃城の斎藤氏を滅亡させました。
孫にあたる鎌原重澄は長篠の戦いで戦死します。
その重澄の子・鎌原重春は真田昌幸の娘を正室に迎え、天正10年(1582年)3月の織田・徳川連合軍の武田征伐で武田勝頼が滅亡すると、宗家の真田家に従い、子孫は真田家重臣となりました。
信長の野望での鎌原幸定
ゲーム信長の野望での鎌原幸定のパラメーターを見てみましょう。
統率 58 (898 位)
武勇 59 (863 位)
知略 47 (1648 位)
内政 45 (1573 位)
外政 43 (1672 位)
合計 252 (1450 位)
2200人中の順位です。
統率・武勇が並以上ですが、その他はパッとしない感じです。
ゲーム内では真田昌幸・幸村が破格の性能を誇っているので、小さい領土ですがなかなか滅亡しません。
まとめ
いかがでした?
真田幸隆の弟である鎌原幸定。
優秀な一族で生まれ置いてけぼりにされないよう必死に食らいついていったのでしょう。
それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。
参考
鎌原幸定