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津軽平野の歴史書「津軽郡中名字」を編纂した川原具信(かわはらとものぶ)とは?【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回紹介するのは、浪岡北畠氏の家臣である川原具信(かわはらとものぶ)、別名は北畠具信・浪岡具信です。
一体何をしたのでしょうね?
さっそく行ってみよう。
目次[非表示]
川原具信の一生
川原(浪岡)具信は、浪岡北畠家の当主・浪岡具永の庶子といわれ、一門家臣でした。兄に具弟がいます。
生年は不明ですが、ゲーム信長の野望では1503年と設定されています。
父・具永の命令で、断絶していた分家の川原御所の家柄を継ぎ川原姓を名乗ります。
所領問題で甥の浪岡具運と争い、永禄5年(1562年)に具運を暗殺します(川原御所の乱)。
これにより主家・浪岡北畠氏の衰退を招くことになります。
浪岡北畠氏の当主・顕村は、安東愛季の娘を正室にむかえて勢力回復をはかるが、大浦(津軽)氏が浪岡城を攻略し浪岡北畠氏は滅亡しました。
津軽郡中名字
川原具信は、津軽平野の地名や集落の歴史を探るときには必ずといっていいほど引用される文献である「津軽郡中名字」を編纂しています。
信長の野望での川原具信
ゲーム信長の野望での川原具信のパラメーターを見てみましょう。
統率 60 (792 位)
武勇 61 (756 位)
知略 43 (1824 位)
内政 68 (428 位)
外政 56 (996 位)
合計 288 (858 位)
2200人中の順位です。
「津軽郡中名字」を編纂したためか内政が比較的高く設定されています。
まとめ
いかがでした?
具体的な戦の記録が残っていませんでしたが、「津軽郡中名字」を編纂し、しっかり歴史に名を刻んだ川原具信。
仇討ちにより討たれてしまうのでした。
それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。
参考
北畠具信