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  • ● 1585年 羽柴(豊臣)秀吉が紀州太田城を水攻めで落とす
  • ● 1613年 江戸幕府奉行衆・大久保長安が死去。享年69歳
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日本初となる鉄砲同士による合戦を行った蒲生範清(かもうのりきよ)とは?【マイナー武将列伝】

日本初となる鉄砲同士による合戦を行った蒲生範清(かもうのりきよ)とは?【マイナー武将列伝】

こんにちは、歴史大好きtakaです。

今回紹介するのは、大隅の豪族である蒲生範清(かもうのりきよ)です。
一体何をしたのでしょうね?

さっそく行ってみよう。

蒲生範清は大隅の豪族。島津家と争い、岩剣城に義久義弘歳久3兄弟が攻め寄せると、日本初となる鉄砲同士による合戦を行った。のちに島津家に降伏した。

目次[非表示]

蒲生範清の生まれ

蒲生範清の生年は不明ですが、信長の野望では1524年と設定されています。

奈良・平安時代、大隅国にあった蒲生院は、大隅一宮鹿児島神宮の荘園として支配され、正八幡宮の寄郡であった。蒲生は「かもふ」といったのか「がもふ」といったのか古い記録はないが、正八幡神領坪付に「五反 かもふ しんにゅうてん」とあることから「かもふ」と発音されていたようだ。
蒲生家はこの蒲生院から興り、戦国時代になると島津氏にも拮抗する勢力を誇っていました。

天文19年(1550年)、範清の父・蒲生茂清は四十六歳で死去します。
その後、嫡子である範清が家督を継ぎ、祁答院氏・菱刈氏らと結び、島津貴久と対立していきます。

岩剣城の戦い

天文23年(1554年)9月、大隈蒲生城主の蒲生範清が、岩剣城に拠る祁答院良重らと結び、島津方となった肝付兼演の加治木城を攻めます。
これが日本初の鉄砲同士の戦いとなりました。
島津貴久は救援のため子の義久義弘らと共に岩剣城を包囲すると、加治木城の包囲を解いて岩剣城の後詰に出てきた蒲生方を撃破し、良重の子・重経、蒲生一族の西俣盛家らを討ち取ります。
これをみた良重が夜陰に乗じて城を捨てたため、貴久は岩剣城に義弘を入れて守られることにしました。

岩剣城が落ちたが、蒲生範清の戦意は衰えなかった。

蒲生城の戦い

島津貴久は攻略したばかりの岩剣城を拠点に、大隈平定に乗り出します。

天文24年(1555年)、島津貴久は蒲生城の支城を各個撃破していきます。
蒲生氏一族の北村氏が守る北村城を落とし、つぎに祁答院良重の拠る帖佐平山城を攻撃します。
島津軍の猛攻撃にさすがの祁答院良重も平安城を逃れて本領の祁答院に逃れます

その後、祁答院良重は帖佐奪回を策して蒲生範清の応援を得て平安城を攻撃したが回復はならなかった。

祁答院氏の居城を収めた島津貴久は、蒲生範清に降伏を進めたが範清はこれをはねつけ、島津軍の蒲生攻略が始まった。

翌1556年12月についに蒲生範清の居城蒲生城を包囲する。

このとき、蒲生範清と結ぶ菱刈重豊が救援のため北村に陣を布いて島津勢と対峙するが、4月15日に島津勢が菱刈勢の陣を急襲し、重豊を敗死させます。

敗北を悟った蒲生範清は城門の鍵を島津氏に渡すと城に火を放って祁答院の松尾城に退去し、西大隈が貴久の手に帰しています。

蒲生家の滅亡

こうして、初代舜清が平安時代末期に蒲生に入部して以来、四百年余、蒲生陰を領した蒲生氏の歴史は幕を閉じたのであった。
その後の蒲生には、比志島美濃守が入り、戦後の鎮撫と治安に当たった。

信長の野望での蒲生範清

ゲーム信長の野望での蒲生範清のパラメーターを見てみましょう。

統率 54 (1113 位)
武勇 67 (477 位)
知略 41 (1901 位)
内政 35 (1964 位)
外政 33 (2020 位)
合計 230 (1767 位)

2200人中の順位です。

強敵島津と拮抗する勢力を持ち、互角に戦った蒲生範清はなかなかの武勇になっています。

まとめ

いかがでした?

日本初となる鉄砲同士による合戦はやはり鹿児島で行われていたのですね。
いち早く最新武器を自国の軍隊に入れるとは目の付け所がよかったですが、さすがに島津には勝てず滅んでしまいました。
前年です。

それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。

参考
薩摩蒲生氏

記事に登場する武将

信長の野望 徹底攻略の管理人 taka

taka

信長の野望シリーズを「革新」の頃の2005年からプレイ。大河ドラマや歴史小説を読みまくる。明治維新・元寇も好きだが戦国時代が一番好き。
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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
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伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
日向
大隅
薩摩
壱岐
対馬