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  • ● 1611年 豊臣秀頼が徳川家康と二条城で会見
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「源氏物語」を愛読した菊池家臣・鹿子木親員(かのこぎちかかず)とは?【マイナー武将列伝】

「源氏物語」を愛読した菊池家臣・鹿子木親員(かのこぎちかかず)とは?【マイナー武将列伝】

こんにちは、歴史大好きtakaです。

今回紹介するのは、菊池家臣の鹿子木親員(かのこぎちかかず)です。
一体何をしたのでしょうね?

さっそく行ってみよう。

鹿子木親員は菊池家臣。肥後隈本城主。大友義長の次男・義武の菊池家入嗣後は義武の家老となる。三条西実隆から「源氏物語」を購入するなど、文事にも関心が深かった。

目次[非表示]

鹿子木親員のデータ

鹿子木親員の肖像画

鹿子木親員の生年はわかっていませんが、ゲーム信長の野望では1477年と設定されています。
菊池氏、次いで大友氏の家臣となり、寂心(じゃくしん)の法号で知られます。

隈本城主となる

隈本城は元々菊池氏一族の出田秀信が築いて城主でした。
鹿子木親員は飽田・託麻・玉名・山本、四郡の中に五百六十町歩を領して、楠原城に本拠を構えていました。
しかし、出田秀信が文明十七年(1485)に矢部の馬門原の戦で戦死してしまい、菊池氏の当主菊池重朝は、出田氏に代わって鹿子木親員を隈本城主とし、明応五年(1496)鹿子木親員は隈本の地に入ったのである。

鹿子木親員の活躍

茶臼山南麓に新城を築城した鹿子木親員は、永正13年(1516)、阿蘇山と英彦山の衆徒同士の紛争の仲介や、豊福問題をめぐる相良・名和氏間紛争の仲介などで活躍します。

主家の菊池氏に従い、飽田郡・託麻郡に勢力を伸ばします。

やがて、菊池義武は大友宗家からの自立を企図するようになり、大友氏と敵対する大内氏と結ぶようになった。

しかし、天文四年(1535)、大友義鑑は主家の菊池義武を攻め、敗れた菊池義武は隈本を捨てて島原に逃れました。
大友氏の肥後侵攻に際して、隈部・赤星・城氏らはまったく動かず、肥後は大友氏の征圧下におかれ、鹿子木親員も大友義鑑に服し、天文五年(1536年)には隠退を余儀なくされたようだ。

大友氏から入嗣した菊池義武の時代に家老の地位にあったが、菊池義武が実兄・大友義鑑と対立した天文5年(1536年)頃に離反して大友氏と共に義武やこれを支援する相良氏と争いました。

文学にも造詣が深い鹿子木親員

文事にもすぐれた武将で、自詠の和歌四首が残されている他、三条西実隆から『源氏物語』を購入したことが知られています。

また、藤崎八旛宮や大慈寺の修造などの寺社興行でも知られ、藤崎八幡宮に残されている後奈良天皇の勅額は天文11年(1542年)に親員が要請したものと伝えられています。

鹿子木親員の最後

鹿子木家は嫡男の鹿子木親俊が家督を継ぐが、父に先立って没しています。
そのため、鹿子木親員の没後にその弟の鹿子木鎮有が後を継ぎました。
鎮有は旧主・菊池義武に帰参するが、義武義鑑の子・大友宗麟に滅ぼされると所領を奪われて没落、隈本城も城親冬に奪われることになった。

信長の野望での鹿子木親員

ゲーム信長の野望での鹿子木親員のパラメーターを見てみましょう。

統率 61 (744 位)
武勇 58 (915 位)
知略 59 (973 位)
内政 65 (545 位)
外政 63 (640 位)
合計 306 (609 位)

2200人中の順位です。

全体的にパラメーターが並ですね。
しかし弱小大名でこの能力の武将は頼りになる存在です。

まとめ

いかがでした?

戦国時代の武将はゴツゴツして頭固いイメージですが、このように文学が好きな人がいると武将が身近に感じますね。
肖像画見ると優しそうなおじいさんです。

それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。

参考
鹿子木親員
鹿子木氏

記事に登場する武将

信長の野望 徹底攻略の管理人 taka

taka

信長の野望シリーズを「革新」の頃の2005年からプレイ。大河ドラマや歴史小説を読みまくる。明治維新・元寇も好きだが戦国時代が一番好き。
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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
石見
隠岐
播磨
美作
備前
備中
備後
安芸
周防
長門
紀伊
淡路
阿波
讃岐
伊予
土佐
筑前
筑後
豊前
豊後
肥前
肥後
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大隅
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