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  • ● 1546年 北条氏康が上杉憲政、上杉朝定らを破る
  • ● 1555年 織田信長が織田信友を討ち清洲城を奪取、以後の居城とする
  • ● 1556年 斉藤道三が対立していた息子・義龍に敗れ討死
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北条家の馬廻衆・狩野泰光(かのうやすみつ)とは?【マイナー武将列伝】

北条家の馬廻衆・狩野泰光(かのうやすみつ)とは?【マイナー武将列伝】

こんにちは、歴史大好きtakaです。

今回紹介するのは、狩野飛騨守泰光(かのうやすみつ)です。
一体何をしたのでしょうね?

さっそく行ってみよう。

狩野泰光は北条家臣。氏康の代から仕え、馬廻衆として活躍。小田原征伐の際に、八王子城で前田・上杉軍と戦って死んだ狩野一庵宗円を同一人物とする説もある。

目次[非表示]

狩野泰光のデータ

狩野泰光は後北条氏家臣で北条氏康の代から仕えたとされています。

史料によっては氏康の「康」の字を与えられたとみられる「康光」(読み同じ)の表記もみられます。
生年は不明だがゲーム信長の野望では1528年と設定されています。

『北条氏所領役帳』には御馬廻衆として513貫430文の知行高が記されています。

T-fileの管理人Takataka

1貫12万ほどらしいので513貫は約6,200万円です。
めちゃくちゃ優秀だったことでしょう。

狩野泰光は北条氏の奉行人・評定衆としても活躍していたようで、彼が署判を加えた裁許朱印状が数多く残っています。

北条家裁許印判状

北条家裁許印判状

これは狩野泰光が署判を加えたものか定かではありませんが北条家の裁許印判状になります。
内容は、小田原北条氏の家臣の尾崎大膳の家督相続についてです。
討ち死にした尾崎大膳の家督を、娘が相続することについて、一族の尾崎常陸守と相論になった模様です。
結果としては、娘が相続することになり、母方の一族である宮城四郎兵衛に、北条家に対してよく働く者を夫とするようにとの指示がだされています。

T-fileの管理人Takataka

こういうことを評定していたのですね。

永禄11年(1568年)2月10日の裁許朱印状を最後に記録から見られなくなる。

狩野一庵宗円と同一人物

狩野一庵宗円と狩野泰光が同一人物であるということが「佐藤 博信「狩野一庵宗円のこと」『戦国史研究』15号、1988年。」で言及されているようです。

狩野一庵宗円ははじめ北条氏康に馬廻りとして仕えるが、永禄11年(1568年)2月10日以降、永禄12年(1569年)11月7日までの間に北条氏照の奉行人となり、主に奏者として氏照支配下の国人衆との連絡役を務めたり、八王子城や滝山城の留守居役などを任されています。

天正10年(1582年)の本能寺の変に際しては、北条氏直が深谷にいた狩野一庵経由で変を知ったと滝川一益に書状を出しているので、滝川勢の及ぶ最前線に配置されていたと思われます。

天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐では八王子城を守備し、三の丸で討ち死にしました。

信長の野望での狩野泰光

ゲーム信長の野望での狩野泰光のパラメーターを見てみましょう。

統率 57 (953 位)
武勇 36 (1960 位)
知略 59 (973 位)
内政 60 (782 位)
外政 61 (734 位)
合計 273 (1102 位)

2200人中の順位です。
武勇以外は並といったところです。

馬廻衆とは戰の際に大将に付き添い護衛や伝令を行う優秀な人材しかなれない職なので、本来の彼は剣術も人並み以上にでき機転も効く人物だったかもしれません。
奉行人・評定衆としても活躍したので、知略も高かったはずでしょう。

まとめ

いかがでした?
文武両道な狩野泰光
今で言うと政治家を守るSPと裁判官を務めていたようなものでしょうか?

それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。

参考
狩野泰光
狩野一庵
35.北条家裁許印判状

記事に登場する武将

信長の野望 徹底攻略の管理人 taka

taka

信長の野望シリーズを「革新」の頃の2005年からプレイ。大河ドラマや歴史小説を読みまくる。明治維新・元寇も好きだが戦国時代が一番好き。
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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
佐渡
伊賀
伊勢
志摩
尾張
三河
遠江
駿河
伊豆
甲斐
相模
武蔵
安房
上総
下総
常陸
大和
山城
摂津
河内
和泉
丹波
丹後
但馬
因幡
伯耆
出雲
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隠岐
播磨
美作
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備中
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