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葛西・大崎一揆の総帥・柏山明久(かしやまあきひさ)とは?【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回紹介するのは、葛西家臣の柏山明久(かしやまあきひさ)、別名折居明久です。
一体何をしたのでしょうね?
さっそく行ってみよう。
目次[非表示]
柏山明久のデータ
柏山明久は陸奥国中部(現在の宮城県三陸沿岸から岩手県南部にかけての地域)の大名である葛西家の筆頭家臣である柏山明吉の四男として生まれました。
生年は不明だが、ゲーム信長の野望では1561年と設定されています。
兄に、柏山明国・柏山明宗・柏山明長がいます。
長男・柏山明国が父・柏山明吉の後継ぎとなりますが、横暴な性格だったため家臣達が次男の柏山明宗を擁立します。
柏山明久は領内屈指の荒武者といわれていたので、この時跡継ぎ争いの候補にならなかったのでしょう。
この柏山家の内乱の際には家老・三田将監を殺害しています。
折居城
天正年間(1573~93年)に柏山明久は折居城を築城し城主となります。
住所 : 岩手県奥州市水沢真城折居舘
葛西・大崎一揆
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置により改易された葛西氏・大崎氏らの旧臣が新領主の木村吉清・清久父子に対し反乱を起こします。
それを葛西・大崎一揆と言います。
この時柏山明久は叛乱軍の総帥となったようです。
結果的に秀吉に命を受けた蒲生氏郷や伊達政宗らによってこの一揆は鎮圧され葛西氏・大崎氏は消滅、葛西・大崎の遺領13郡30万石は伊達家に与えられました。
信長の野望での柏山明久
ゲーム信長の野望での柏山明久のパラメーターを見てみましょう。
統率 57 (953 位)
武勇 68 (436 位)
知略 41 (1901 位)
内政 26 (2152 位)
外政 27 (2139 位)
合計 219 (1900 位)
2200人中の順位です。
葛西・大崎一揆の叛乱軍の総帥となったのでもう少し統率は高く設定しても良いかと思います。
まとめ
いかがでした?
柏山4兄弟は兄弟揃って荒くれ者で、その末っ子の柏山明久。
一揆の総帥やってますから相当血気盛んで人望や統率力もあったのではと思います。
結局一揆は中央の圧倒的な軍事力によって鎮圧されてしまいましたね。
残念です。
それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。