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黒田孝高の外祖父・明石長行(あかしながゆき)とは?【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回は播磨の風流人・明石長行(あかしながゆき)について書いていこうと思います。
黒田官兵衛の外祖父(官兵衛から見て母方の祖父)です。
一体何をしたのでしょうかね?
さっそく行ってみよう。
目次[非表示]
明石長行の生まれ
明石長行は播磨国明石郡の枝吉城を本拠とした国衆の明石氏の一族です。
明石海峡大橋や最近出生率が高くて話題な兵庫県の明石市ですね。
生年は分かりませんがゲーム信長の野望では1486年と設定されています。
四郎左衛門尉や正風とも名乗っていました。
播磨守護の赤松晴政に仕えていました。
明石長行の縁戚関係
室:宇喜多能家娘
生母不明の子女
男子:明石祐行
女子:岩姫(1532-1560)
女子:梶原景則室
女子:栗山利安室
男子:明石安正
明石長行の正室は浦上家臣時代の宇喜多能家の娘です。
宇喜多能家の息子の興家の息子が宇喜多直家です。
当時の世界は狭いですね。
秀吉家臣の黒田官兵衛が宇喜多直家に織田方に着くように調略していましたが、このように親戚同士だったんですね。
娘の岩姫は、(黒田職隆が当時仕えていた)小寺政職の養女となり姫路城代の黒田職隆に嫁ぎ黒田官兵衛孝高を産みました。
宇喜多・明石・小寺・黒田と播磨周辺で婚姻関係を結び強固な地盤固めをしていたのです。
また岩姫とは別の明石長行の娘は、黒田二十四騎の筆頭家老の栗山利安善助に嫁いだようです。
冷泉派に精通した明石長行
元々明石氏は書や和歌などに精通した、戦国時代には珍しい家風でした。
特に明石長行は、関白の近衛稙家に和歌を伝授した記録が残っています。
また天文8年(1539)、播磨国明石郡の太山寺に自らが所蔵する書籍を寄贈した記録も残っており、この書籍の内容が鎌倉時代中期から現代にいたるまでの和歌の流派の一つである冷泉派(れいぜいは)という流派を強く影響を受けているものでした。
- 古今和歌集
- 拾遺和歌集
- 後拾遺和歌集 上下
- 後撰和歌集
- 明題集
- 玉葉和歌集 上下
- 秋篠月清集 上下
- 和漢朗詠集 上下
- 伊勢物語
- 平家物語 十二巻
- 曾我物語 十帖
冷泉派が他の和歌の流派とどういう違いがあるのか調べてみましたが難解でしたので、興味のある方は個人的に調べてみてください。
信長の野望での明石長行
ゲーム信長の野望での明石長行のパラメーターを見てみましょう。
統率 31 (2068 位)
武勇 14 (2200 位)
知略 64 (695 位)
内政 78 (157 位)
外政 83 (82 位)
合計 270 (1145 位)
2200人中の順位です。
戦闘を行った資料が少ないので統率や武勇などの戦闘系のパラメーターは低く設定されていますが、超天才の官兵衛を輩出した血筋と和歌方面での活躍によって知略と政治が高く設定されています!
まとめ
いかがでした?
黒田官兵衛の背景像が少し鮮明に浮かび上がった気がします。
それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。