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この子誰の子?家康の次男ながら冷遇された結城秀康【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回は徳川家康の次男にして冷遇された結城秀康(松平秀康)について書いていこうと思います。
それでは行ってみよう。
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父に会えなかった幼少期の結城秀康
今川氏の時代より代官や浜名湖周辺の船・兵糧の奉行を務める源範頼の系譜である領主・中村正吉の屋敷で生まれた結城秀康は、すぐに家康の重臣・本多重次のもとに預けられたという。
幼名を於義伊(於義丸 / 義伊丸 / 義伊松)と名づけられた秀康は、父・家康とは満3歳になるまで対面を果たせなかった。
その対面も、あまりの冷遇を受ける異母弟を不憫に思った兄・信康による取りなしで実現したものであったという。
家康の長男・松平信康の死
家康の正室である築山殿が産んだ長男・松平信康は、信長の娘・五徳を娶ります。
剛勇英邁の人となりで将来を嘱望されるが、武田家への内通を信長に疑われ、家康は実の長男に自害をさせてしまいます。
かなり期待していたので家康はさぞがっかりし、また信長への憎悪も並々ならぬものがあったと思います。
長男がいなくなったのだから普通なら次男が後を継ぎます。
しかし徳川2代将軍になったのは次男の秀康ではなく三男の徳川秀忠でした。
あっさりと養子に出された結城秀康
本能寺の変の後の天正12年(1584年)12月12日、羽柴秀吉が権力を握りつつある段階の頃、秀吉は家康に忠誠を誓わせる、人質を取るという意味で養子をくれと言いました。
その時に何の躊躇いもなく出されたのが松平(結城)秀康である。
家康には11人の男子がいるにもかかわらずである。
秀康は羽柴秀吉の養子として「羽柴三河守秀康」と名乗ることになりました。
たらい回しで結城家の養子に
天正18年(1590年)、家康が駿遠三甲信から、関東一円(旧北条領)に国替えになり240万石を得ます。
秀吉は、関東平定の功労者である家康へ更なる加増として、秀康を北関東の大名である結城氏の婿養子とすることを考えつきます。
秀康は関東に下り黒田官兵衛孝高の取り成しで結城晴朝の姪(江戸重通娘 鶴姫)と婚姻して結城氏の家督および結城領11万1,000石を継ぐことになりました。
結城秀康が冷遇されたわけ
1634年に書かれた『中村家御由緒書』には「本多作左衛門が家康に委細を言上に及んだところ、家康には何か考えることがあり、お取り上げが難しいということになり」とだけ書かれており、研究者の小楠和正は武田勝頼との戦いに直面していたために家康は秀康を浜松城に引き取る機会も、対面する機会も持てなかったのではないかと推定している
と、wikipediaに記載があるが、それではその後ここまで冷遇される理由にはなりません。
家康が息子の秀康に冷たかったのは、その出生に疑惑があったからだという説があります。
秀康の母は、正室の築山殿の侍女で、正式な側室ですらありませんでした。
しかも家康が関係を持ったのは風呂場で1回だけ、はずみでそうなった。それで妊娠してしまったのである。
家康の側室であれば、他の男たちが手をつけることもないが、侍女の立場なら他の男とも関係を持っていたかもしれない。
今のようにDNA鑑定で親子関係を調べることががないので家康としては自分の子だと認知していたものの、疑う気分が残っていたのかもしれません。
江戸時代の結城秀康
関ヶ原の後、秀康は家康より下総(千葉県北部)結城10万1,000石から越前(福井県)北荘68万石に加増移封され越前松平家と称されます。
江戸時代に入り、この越前松平家は御三家などの序列とは別格の制外の家とされた。
この特例は、秀忠の兄として遇された秀康1代限りのものとされたが、各藩は徳川将軍家の兄の家系という意識を持っていた。
家康の次男でありがなら御三家に入れず、しかし無下にもできない形が制外の家という制度で均衡を保っていたと言えるでしょう。
信長の野望での結城秀康
ゲーム「信長の野望 大志」での結城秀康の評価を見てみましょう。
統率 75 (216 位)
武勇 82 (94 位)
知略 41 (1901 位)
内政 53 (1155 位)
外政 44 (1626 位)
合計 295 (746 位)
武将としての器量は一流で周囲からも認められており、武勇抜群、剛毅で体躯も良かったと言われていためか統率・武勇と非常に高く設定されています。
まとめ
いかがでした?
結城家への養子の件で黒田官兵衛とは大変仲が良く、伏見では三日に一日は官兵衛の屋敷で過ごしたという記録が残るほどだったようです。
本当に家康の子供だったのかどうかの真相は今ではわかりませんが、冷遇されるものの、彼自身精一杯生きていったのだろうと思いました。
それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。
参考
ここが一番おもしろい!戦国時代の舞台裏
結城秀康