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大月景秀(おおつきかげひで)は何をした人?戦国時代の医師で「万金丹」を開発【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回紹介するのは戦国時代の医師・大月景秀(おおつきかげひで)です。
一体何をした人なんでしょうか?
それでは見ていきましょう!
医師。朝倉義景に仕え、気つけや解毒に効能がある丸薬「万金丹」を創って朝倉家の軍兵を支えた。主家が滅亡すると出家、薬屋を営んで大いに評判を得た。
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大月景秀の生まれ
大月景秀は、応仁の乱を契機として越前国(福井県)を治める戦国大名となった朝倉氏に仕えた家臣で医師でした。
生年はわかりませんが、ゲーム信長の野望では1498年と設定されています。
大月家の家譜によると、越前国吉田郡志比谷市野々村に居住していたが、朝倉氏の家臣である朝倉景連(あさくらかげつら)の妹を娶ったことで朝倉氏の家臣になったようです。
越前国吉田郡志比谷市の地図
永禄5年(1562年)、京都より下向した大覚寺義俊を慰めるために催された曲水の宴に、朝倉家臣のなかに大月景秀の名があり、永禄11年(1568年)5月、足利義昭の朝倉館訪問時には中門の警護を行いました。
曲水の宴とは、水の流れのある庭園などでその流れのふちに出席者が座り、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲んで次へ流し、別堂でその詩歌を披講するという行事である。
大月景秀は、歌もでき、門の警護に当たっている事から武将としての働きも人並みにやっている文武両刀の人物像が浮かび上がってきましたね。
天正元年(1573年)8月、朝倉氏11代当主朝倉義景が織田家に滅ぼされた後は薙髪して善隆と名を改め出家し、福井県の北ノ庄で薬屋を営み、産前産後の妙薬を創製・販売して好評を博しました。
同年11月8日に死去し、その後子孫は加賀藩(石川県南部)に仕え、大月家代々医術を業とする大月斎庵として現在に至っています。
大月景秀が作った万金丹とは?
伊勢の名物で伝統的に製造販売されている漢方薬の「萬金丹」とは別物の様です。
効果を調べてみたがなかなか資料を見つけられず断念しました。
ゲーム「信長の野望」での大月景秀
ゲーム「信長の野望 大志」での大月景秀は、武勇パラメーターが全2200人中最下位となっています。医者なので戦わないということですね。
外政パラメーターは467位と上の下くらいです。
まとめ
いかがでしたか?
戦国時代に医師として活躍した武将・大月景秀。
ゲーム上では能力は低く、薬を作るコマンドもないのでパッとしませんが、現実では、気つけや解毒に効能がある丸薬「万金丹」が朝倉家の軍兵を支えた優秀な方だったことでしょう。
それでは今後もマイナー武将列伝を書いていきますのでよろしくお願いいたします。