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  • ● 1555年 織田信長が織田信友を討ち清洲城を奪取、以後の居城とする
  • ● 1556年 斉藤道三が対立していた息子・義龍に敗れ討死
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穴沢俊光(あなざわとしみつ)は何をした人?伊達の侵攻を防いだ「北の門番」【マイナー武将列伝】

穴沢俊光(あなざわとしみつ)は何をした人?伊達の侵攻を防いだ「北の門番」【マイナー武将列伝】

こんにちは、歴史大好き管理人のtakaです。

今回紹介するのは蘆名家臣・穴沢俊光(あなざわとしみつ)です。

一体何をした人なんでしょうね。
それでは見ていきましょう!

蘆名家臣。伊達家の度重なる侵攻を撃退し続け、「北の門番」と恐れられた。伊達政宗の調略により、内応していた一族の奇襲を受け、自害した。

目次[非表示]

穴沢俊光の生まれ

穴沢俊光の生年は不明ですが、ゲーム信長の野望では1531年と設定されています。

父は会津蘆名氏に仕えた穴沢俊恒です。

穴沢氏は文明18年(1486年)あるいは永正元年(1504年)に葦名盛高の家臣・穴沢越中守俊家が桧原周辺の山賊を退治して町割りをし住み着いたのが始まりとされています。

陸奥耶麻郡桧原を支配し、戸山城や岩山城を築いて居城としていました。

この桧原という地域は蘆名領の北端部にあたり、吾妻連峰を挟んで北側は伊達氏の根拠地米沢であったため、常に伊達氏から狙われる危険性が伴っていました。

この蘆名の北端を守っていたのが穴沢俊光なので「北の門番」と呼ばれていたのですね。

伊達家を幾度も退ける

永禄8年(1565年 穴沢俊光が34歳の頃)、穴沢俊光伊達輝宗の家臣・石川但馬守の侵攻を戸山城で父・俊恒と共に撃退します。

『檜原戦物語』では翌永禄9年(1566 穴沢俊光が35歳の頃)1月、伊達勢は幾度も蘆名領を攻めるも負け続きであったことから、不意の攻撃を考えて通常合戦を行わない雪深い時期に攻めてきます(一ノ渡合戦)。

伊達勢は村人が集まる二十三夜信仰の日を狙い、翌日の未明、約千人で桧原の町はずれの家に火をつけ襲います。
穴沢一族は、一時岩山城へ逃げるものの、父・穴沢俊恒や俊光らが大活躍し、敵の側面を襲い、伊達勢は一ノ渡で約300人が極寒の川に落ち、合計約530人を討取った言われています。

身内の裏切りにより自害

天正12年(1584年 穴沢俊光が43歳の頃)11月、俊光と対立していた一族の穴沢四郎兵衛が伊達政宗に内応し、政宗は四郎兵衛の手引きで1500の兵を派遣して桧原を急襲させました。

この時穴沢一族は、檜原宿に来た風呂屋(遊興・娯楽施設をともなったサウナ)で酒食に興じている最中でした。

伊達勢は大塩方面の道も塞いだため、退路を断たれた穴沢勢は混乱に陥り多くの兵を討たれ、籠城し奮戦するも戸山城と岩山城は落城します。
穴沢俊光は岩山落城の際に、一族と共に自害しました。

政宗はその後、岩山城の南・小谷山に城を築き(桧原城)、後藤信康を在番に配します。

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俊光の嫡男・俊次は所用でたまたまその場に居合わせなかったため難を免れ、その後柏木城に入り、蘆名氏滅亡後は蒲生氏郷に仕え、その子孫は会津松平家の家臣となったようです。

ゲーム「信長の野望」での穴沢俊光の評価

ゲーム「信長の野望 大志」での穴沢俊光の評価を見てみましょう。

統率 72 (297 位)
武勇 79 (141 位)
知略 67 (552 位)
内政 53 (1155 位)
外政 59 (837 位)
合計 330 (367 位)

2200人中の順位で、特に戦闘面に関する統率と武勇が高く設定され「北の門番」の名に恥じていませんね。

まとめ

いかがでしたか?

伊達家の攻撃を幾度も防ぎ「北の門番」と恐れられた穴沢俊光

城攻め・奇襲・合戦で勝てない場合は、次は謀略です。
一族の穴沢四郎兵衛が伊達政宗に調略されたため、落城し身を滅ぼす結果となりました。

無念だったことでしょう。

それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。

参照
穴沢俊光(wikipedia)
「檜原軍物語」 伊達、穴沢の戦い

記事に登場する武将

信長の野望 徹底攻略の管理人 taka

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信長の野望シリーズを「革新」の頃の2005年からプレイ。大河ドラマや歴史小説を読みまくる。明治維新・元寇も好きだが戦国時代が一番好き。
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名称 読み方 読み方(旧) 石高
近江 おうみ ちかつあふみ 78万石
美濃 みの みの 54万石
飛騨 ひだ ひだ 4万石
信濃 しなの しなの 41万石
上野 こうづけ かみつけの 50万石
下野 しもつけ しもつけの 37万石
出羽 でわ いでは 32万石
陸奥 むつ みちのをく 167万石
若狭 わかさ わかさ 9万石
越前 えちぜん こしのみちのくち 50万石
加賀 かが かが 36万石
能登 のと のと 21万石
越中 えっちゅう こしのみちのなか 38万石
越後 えちご こしのみちのしり 39万石
佐渡 さど さど 2万石
伊賀 いが いが 10万石
伊勢 いせ いせ 57万石
志摩 しま しま 2万石
尾張 おわり おはり 57万石
三河 みかわ みかは 29万石
遠江 とおとおみ とほたあふみ 26万石
駿河 するが するが 15万石
伊豆 いず いづ 7万石
甲斐 かい かひ 23万石
相模 さがみ さかみ 19万石
武蔵 むさし むさし 67万石
安房 あわ あは 9万石
上総 かずさ かみつふさ 38万石
下総 しもうさ しもつふさ 39万石
常陸 ひたち ひたち 53万石
大和 やまと やまと 45万石
山城 やましろ やましろ 23万石
摂津 せっつ 36万石
河内 こうち かふち 24万石
和泉 いづみ いずみ 14万石
丹波 たんば たんば 26万石
丹後 たんご たにはのみちのしり 11万石
但馬 たじま たちま 11万石
因幡 いなば いなは 9万石
伯耆 ほうき ははき 10万石
出雲 いずも いづも 19万石
石見 いわみ いはみ 11万石
隠岐 おき をき 5万石
播磨 はりま はりま 36万石
美作 みまさか みまさか 19万石
備前 びぜん きびのみちのくち 22万石
備中 びっちゅう きびのみちのなか 18万石
備後 びんご きびのみちのしり 19万石
安芸 あき あき 19万石
周防 すおう すはう 17万石
長門 ながと ながと 13万石
紀伊 きい 24万石
淡路 あわじ あはぢ 6万石
阿波 あわ あは 18万石
讃岐 さぬき さぬき 13万石
伊予 いよ いよ 37万石
土佐 とさ とさ 10万石
筑前 ちくぜん ちくしのみちのくち 34万石
筑後 ちくご ちくしのみちのしり 27万石
豊前 ぶぜん とよくにのみちのくち 14万石
豊後 ぶんご とよくにのみちのしり 42万石
肥前 びぜん ひのみちのくち 31万石
肥後 びご ひのみちのしり 34万石
日向 ひゅうが ひうか 12万石
大隅 おおすみ おほすみ 18万石
薩摩 さつま さつま 28万石
壱岐 いき ゆき 2万石
対馬 つしま つしま 1万石
近江 美濃 飛騨 信濃 上野 下野 出羽(羽前 - 羽後) 陸奥(岩代 - 磐城 - 陸前 - 陸中 - 陸奥) 若狭 越前 加賀 能登 越中 越後 佐渡 伊賀 伊勢 志摩 尾張 三河 遠江 駿河 伊豆 甲斐 相模 武蔵 安房 上総 下総 常陸 大和 山城 摂津 河内 和泉 丹波 丹後 但馬 因幡 伯耆 出雲 石見 隠岐 播磨 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 讃岐 伊予 土佐 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前 肥後 日向 大隅 薩摩 壱岐 対馬
近江
美濃
飛騨
信濃
上野
下野
出羽
陸奥
若狭
越前
加賀
能登
越中
越後
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