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家臣団に追放された土佐七雄の一人である津野定勝(つのさだかつ)とは?【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回紹介するのは、一条氏の家臣である津野定勝(つのさだかつ)です。
一体何をしたのでしょうね?
さっそく行ってみよう。
目次[非表示]
津野定勝の生まれ
津野定勝は土佐七雄の一つである津野家に生まれました。
津野家は土佐国高岡郡一帯を支配しており、定勝の祖父の元実の代では高岡郡・土佐郡の一部を支配する領主に成長するも、父・基高の時代で土佐一条氏との戦いで衰退していき、定勝の代では土佐一条氏の傘下となっていました。
定勝の妻は土佐中村の一条家の娘である。
1568年には一条兼定・宇都宮氏と毛利氏・河野氏・西薗寺氏が戦った鳥坂峠の戦いに従軍している。
津野領地に迫った長宗我部氏との対立した1569年頃、兼定の妹婿・安芸国虎を滅ぼした長宗我部元親から定勝に「津野家にとって恨みのある兼定とは縁を切り、西進に協力するように」 との申し出があった。
一条家は津野家を追い詰めた張本人だが、現在の妻は一条家の人間である。
定勝は一条家に与するという主張をしたため、先祖の恨みを晴らすべきだという元親派の家臣団より伊予に追放され、定勝の子・勝興を擁立した。
定勝はその後、五台山吸江寺で僧になったとも、多ノ郷村で暮らしたともいわれる。
墓所は高岡郡梼原町松谷にある。
信長の野望での津野定勝
ゲーム信長の野望での津野定勝のパラメーターを見てみましょう。
統率 37 (1904 位)
武勇 40 (1826 位)
知略 38 (1996 位)
内政 40 (1791 位)
外政 36 (1937 位)
合計 191 (2087 位)
2200人中の順位です。
進化前かと思うほど、全体的に低種族値です。
家臣に追放される無能ぶりなのでこの程度なのでしょう。
まとめ
いかがでしたか?
一条家に仕えた津野定勝。
暗愚な一条兼定を見切ることができず、親元親派の家臣に追放されてしまいました。
判断を見誤る人間が生きれるほど甘い世の中ではありませんでした。
それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。