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ご乱心の主君・義久に殺されてしまった尼子氏の筆頭家老・宇山久兼(うやまひさかねも)とは?【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回紹介するのは、尼子氏の家臣である宇山久兼(うやまひさかねも)です。飛騨守とも。
一体何をしたのでしょうね?
さっそく行ってみよう。
目次[非表示]
宇山久兼の生まれ
宇山氏は、宇多源氏佐々木氏の一族で、尼子氏の創業のころから同じ佐々木氏の一族として苦楽をともにしてきました。
なので尼子氏家中において、筆頭家老の重職を担っていた。
宇山久兼の活躍
そのような宇山氏である宇山久兼は尼子経久の代から、晴久、義久と三代に渡り仕え、牛尾幸清・佐世清宗らとともに御家老衆の筆頭であった。
天文9年(1540年)尼子晴久の吉田郡山城攻めや、永禄元年(1558年)・永禄3年(1560年)の石見国攻めなどに参加しました。
永禄5年(1562年)から毛利元就が月山富田城攻めを起こすと、久兼は主君・尼子義久を懸命に励まし、元就による兵糧攻めが行なわれても、私財を投げ打って兵糧を調達するなど、忠臣として大いに活躍した。
しかし、毛利元就に調略された大塚与三衛門の讒言により、義久によって城中にて殺害されました。
この久兼の死により、籠城戦に必死に耐えていた尼子軍は総崩れとなり、滅亡へと向かって行くこととなった。
信長の野望での宇山久兼
ゲーム信長の野望での宇山久兼のパラメーターを見てみましょう。
統率 57 (953 位)
武勇 53 (1189 位)
知略 46 (1696 位)
内政 73 (273 位)
外政 59 (837 位)
合計 288 (858 位)
2200人中の順位です。
筆頭家老ということで全体的には高めのパラメータですが、元就の謀術のため主君に処されてしまっているので、知略が小さくなっています。
ゲーム内で知略が小さいと策略にハマりやすくなります。
まとめ
いかがでしたか?
3代に渡り忠義を示した宇山久兼を殺すとは、尼子義久は阿呆です。
そんな尼子家は潰れてしまって仕方がありません。
それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。
参照
宇山久兼
尼子氏を支えた武将家