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今川義元の妹を娶った西三河の武将・鵜殿長持(うどのながもち)とは?【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
2023年大河ドラマの「どうする家康」が放映され始めました。
ということで現在徳川家康に関連する武将の記事アップ強化月間となっております!
そして今回紹介するのは、この今川家の家臣である鵜殿長持(うどのながもち)、通称は三郎です。
一体何をしたのでしょうね?
さっそく行ってみよう。
目次[非表示]
鵜殿長持の生まれ
鵜殿長持は上ノ郷鵜殿氏三2代当主の鵜殿長将の子として三河に生まれます。
生年は不明ですが、ゲーム信長の野望では1513年と設定されています。
三河国上ノ郷城(現在の愛知県蒲郡市神ノ郷町、西郡城とも)の城主で16世紀前半の鵜殿氏は一族が分立し、現在の蒲郡市域の大半を統治していたようです。
妻が今川義元の妹なので、地元では地位や国力が高かったのでしょう。
鵜殿長持の活躍
天文13年(1544年)連歌師の谷宗長・谷宗牧を迎え、松平清善らと連歌千句の会をひらいたこととあったようです。
鵜殿氏は東海地域の法華宗の後援者であり、15世紀から16世紀にかけて多数の法華宗寺院の建立を支援します。
長持は長応寺に法華経を寄進したり、天文21年(1552年)には縁の深い鷲津(湖西市)本興寺の仏殿修復の際には多額の寄進を行い、棟札には長持の名が筆頭に挙げられています。
弘治2年(1556年)た自城にて没したので、家督を嫡男の鵜殿長照が継ぎました。
家康につかなかったため滅ぼされた三河武士、鵜殿長照(うどのながてる)とは?【マイナー武将列伝】
信長の野望での鵜殿長持
ゲーム信長の野望での鵜殿長持のパラメーターを見てみましょう。
統率 33 (2021 位)
武勇 35 (1987 位)
知略 53 (1324 位)
内政 51 (1268 位)
外政 50 (1324 位)
合計 222 (1872 位)
2200人中の順位です。
少し実績に物足りないものがあるため、パラメーターが全体的に低いですね。
パッとしない武将になっています。
まとめ
いかがでしたか?
史実ではパッとしない印象ですが、「東海一の弓取り」である今川義元の妹を娶ったということはそれほど義元にとって重要な人物だったのでしょう。
信長でいう浅井長政といったところでしょう。
それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。
参照
鵜殿長持