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艾蓬(よもぎ)の射法という弓の技法を室町将軍に披露した城井正房(きいまさふささ)とは?【マイナー武将列伝】
こんにちは、歴史大好きtakaです。
今回紹介するのは、城井宇都宮家15代当主である城井正房(きいまさふささ)、別名宇都宮正房です。
一体何をしたのでしょうね?
さっそく行ってみよう。
目次[非表示]
城井正房の一生
城井正房は豊前国の戦国大名で城井氏14代当主です。
子に長房がいる。
「城井谷の悲劇」の犠牲者、城井鎮房の父・城井長房(きいながふさ)とは?【マイナー武将列伝】
大内氏に従っていたが、少弐・大友氏らの援護をうけ大内家に対抗します。
善戦するも、大内氏に攻められ降伏し、再び大内氏の支配下に入った。
正房は豊前国上毛郡の段銭奉行をつとめ、大内氏麾下の勇将として各地を転戦した。
享年は84。
艾蓬(よもぎ)の射法
宇都宮氏には代々当主にのみ引き継ぐことが許されている「艾蓬(よもぎ)の射法(豊治の射法)」という弓の射法があった。
この射法は蓬の茎を矢にして射るもので、吉凶の占いや、戦勝祈願に用いられる秘法で、元寇の国難には鎌倉鶴岡八幡宮の社前でしばしば射行されたという。
宇都宮氏のシンボルであり、誇りと格式があったため、室町期だけでも十回以上も将軍家の前でこの射法を披露しています。
城井正房も永正六年(1509)3月に、足利十代将軍義稙の御前でこの技法を披露し太刀を賜っています。
神功天皇が朝鮮遠征で用いた射法で、後に中臣氏が受け継いで藤原道兼に伝授され、その子孫である城井宇都宮家に伝えられたようです。
※宇都宮氏の家紋は三つ巴だが、これはもともと弓射に用いる武具であった鞆を形象化したものとする説がある。
この鞆の形と巴の字形が鞆の図形に似ていたことから、トモエと訓ばれるようになったのだという。
黒田長政も城井谷攻めの際にこの射法でやられ、後藤又兵衛も足等に矢傷を受けたようです。
残念ながら城井家滅亡と共に艾蓬の射法は消え、あの秀吉も大変残念がったと。
信長の野望での城井正房
ゲーム信長の野望での城井正房のパラメーターを見てみましょう。
統率 43 (1673 位)
武勇 48 (1462 位)
知略 59 (973 位)
内政 66 (503 位)
外政 64 (595 位)
合計 280 (994 位)
2200人中の順位です。
これといった活躍が見られませんが特に政治面の数値が高いですね。
まとめ
いかがでしたか?
将軍の前で弓の技法を披露するということは相当有名だったのでしょうね。しかも実用的で黒田の武将を負傷させています。
この技法が途絶えてしまったのは本当に惜しいですね。
どんなのだったのでしょうか?
知っている人いたら教えてください!
それでは、今後もマイナー武将列伝の記事をアップしていきますのでよろしくお願いいたします。